{"title":"GIFT","description":"","products":[{"product_id":"art-objectq-color-3266","title":"ART OBJECT(Q-COLOR) 3266","description":"\u003c!-- 上段：作品説明 --\u003e\n\u003cp\u003e\n1947年にデザイン、1948年から1951年に製造。\u003cbr\u003e\nIITTALAで最初期にデザインした作品のひとつです。\u003cbr\u003e\nアートオブジェクト3266は、イエロー、パープルのカラーバリエーションで展開されましたが、こちらは同時期に他の作品で用いられた『Qカラー』のガラスが使用された珍しい作品。\u003cbr\u003e\n『Qカラー』は、Iittalaが開発した特殊なガラスで、光が透過すると独特な虹彩を放ちます。\n\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e\nカットサインがないのは、側面に色の濁った箇所があるためかと思われます。\u003cbr\u003e\n※目立つダメージなく良い状態です。\n\u003c\/p\u003e\n\u003c!-- 下段：プロフィール（Tapio Wirkkala） --\u003e\n\u003cdiv style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n\n  \u003ch3\u003e\u003cstrong\u003eTAPIO WIRKKALA｜タピオ・ヴィルカラ｜1915-1985｜FINLAND\u003c\/strong\u003e\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    Tapio Wirkkala（タピオ・ヴィルカラ）は、フィンランドデザインを国際的成功へと導いた最も重要な人物のひとりであり、20世紀を代表するデザイナーのひとりです。\u003cbr\u003e\n    1946年のKarhula-Iittalaガラスデザインコンペでの受賞を契機に活動を本格化させ、1951年ミラノ・トリエンナーレのフィンランド館の展示デザインによって世界的評価を確立しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    ガラス、木工、金属工芸、陶磁器など幅広い分野で活動し、Iittala、Kultakeskus、Rosenthalなど多くの企業と協働。\u003cbr\u003e\n    量産プロダクトから一点制作のアートガラスや彫刻までジャンルを横断し、自然と幾何学、工芸と工業生産、芸術と実用品といった異なる領域を分け隔てることなく手がけました。\u003cbr\u003e\n    素材への深い理解に基づく造形美によって、芸術性と工業生産を高い次元で結びつけました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    彼の制作姿勢の根幹には「手の感覚」があり、数百枚に及ぶスケッチを描き模型を制作しながら形態を徹底的に検証し、試作を重ねる独自のデザインプロセスを実践しました。\u003cbr\u003e\n    また、ラップランドの自然から強い影響を受け、その風景や氷の造形は多くの作品のインスピレーションとなっています。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    ルニング賞（1956年）、ミラノ・トリエンナーレでは展示、ガラス、木製彫刻の3部門でグランプリ（1954年・1957年）を受賞するなど受賞歴多数。\n  \u003c\/p\u003e\n\n\u003c\/div\u003e","brand":"TAPIO WIRKKALA","offers":[{"title":"BLUE \/ TWGL316","offer_id":48489816162544,"sku":null,"price":41250.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/TWGL316_1.jpg?v=1765518268"},{"product_id":"art-object-3538","title":"ART OBJECT 3538","description":"\u003c!-- 上段：作品説明 --\u003e\n\u003cp\u003e\n1952年から1955年まで製造。\u003cbr\u003e\n代表作の一つ『Kantalelli』などで使われたラインカットに続く、新たな表面装飾技法として1952年に発表されたコームカットを用いた作品のひとつ。\u003cbr\u003e\nコームカットとは、櫛でカットしたようなピッチで平行に彫り込む技法。\n\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e\nこちらは型吹きによって製造され、外側面にコームカットが施されています。\u003cbr\u003e\nカットサインは『TAPIO WIRKKALA - IITTALA - 55』で、1955年に製造されたもの。\u003cbr\u003e\n※目立つダメージなく良い状態です。\n\u003c\/p\u003e\n\u003c!-- 下段：プロフィール（Tapio Wirkkala） --\u003e\n\u003cdiv style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n\n  \u003ch3\u003e\u003cstrong\u003eTAPIO WIRKKALA｜タピオ・ヴィルカラ｜1915-1985｜FINLAND\u003c\/strong\u003e\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    Tapio Wirkkala（タピオ・ヴィルカラ）は、フィンランドデザインを国際的成功へと導いた最も重要な人物のひとりであり、20世紀を代表するデザイナーのひとりです。\u003cbr\u003e\n    1946年のKarhula-Iittalaガラスデザインコンペでの受賞を契機に活動を本格化させ、1951年ミラノ・トリエンナーレのフィンランド館の展示デザインによって世界的評価を確立しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    ガラス、木工、金属工芸、陶磁器など幅広い分野で活動し、Iittala、Kultakeskus、Rosenthalなど多くの企業と協働。\u003cbr\u003e\n    量産プロダクトから一点制作のアートガラスや彫刻までジャンルを横断し、自然と幾何学、工芸と工業生産、芸術と実用品といった異なる領域を分け隔てることなく手がけました。\u003cbr\u003e\n    素材への深い理解に基づく造形美によって、芸術性と工業生産を高い次元で結びつけました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    彼の制作姿勢の根幹には「手の感覚」があり、数百枚に及ぶスケッチを描き模型を制作しながら形態を徹底的に検証し、試作を重ねる独自のデザインプロセスを実践しました。\u003cbr\u003e\n    また、ラップランドの自然から強い影響を受け、その風景や氷の造形は多くの作品のインスピレーションとなっています。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    ルニング賞（1956年）、ミラノ・トリエンナーレでは展示、ガラス、木製彫刻の3部門でグランプリ（1954年・1957年）を受賞するなど受賞歴多数。\n  \u003c\/p\u003e\n\n\u003c\/div\u003e","brand":"TAPIO WIRKKALA","offers":[{"title":"CLEAR \/ TWGL252","offer_id":48496065839344,"sku":null,"price":66000.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/TWGL252_1.jpg?v=1765526739"},{"product_id":"art-object-ashtray-ice-breaker-3318","title":"ART OBJECT \/ ASHTRAY \"ICE BREAKER\" 3318","description":"\u003c!-- 上段：作品説明 --\u003e\n\u003cp\u003e\n1963年から1974年、1986年から1987年に製造。\u003cbr\u003e\nおおよそ30mmの厚みがある底部に、海面に浮かぶ大小様々な氷山・流氷をスタッズのような三角錐で表現した作品。\n\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e\nオリジナルボックス付属。\u003cbr\u003e\nカットサインがないのは、底面の三角錐の数が3つ少ないため、セカンドクオリティとなったものと推測されます。\u003cbr\u003e\n※目立つダメージなく良い状態です。オリジナルボックスにはいたみがあります。\n\u003c\/p\u003e\n\u003c!-- 下段：プロフィール（Tapio Wirkkala） --\u003e\n\u003cdiv style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n\n  \u003ch3\u003e\u003cstrong\u003eTAPIO WIRKKALA｜タピオ・ヴィルカラ｜1915-1985｜FINLAND\u003c\/strong\u003e\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    Tapio Wirkkala（タピオ・ヴィルカラ）は、フィンランドデザインを国際的成功へと導いた最も重要な人物のひとりであり、20世紀を代表するデザイナーのひとりです。\u003cbr\u003e\n    1946年のKarhula-Iittalaガラスデザインコンペでの受賞を契機に活動を本格化させ、1951年ミラノ・トリエンナーレのフィンランド館の展示デザインによって世界的評価を確立しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    ガラス、木工、金属工芸、陶磁器など幅広い分野で活動し、Iittala、Kultakeskus、Rosenthalなど多くの企業と協働。\u003cbr\u003e\n    量産プロダクトから一点制作のアートガラスや彫刻までジャンルを横断し、自然と幾何学、工芸と工業生産、芸術と実用品といった異なる領域を分け隔てることなく手がけました。\u003cbr\u003e\n    素材への深い理解に基づく造形美によって、芸術性と工業生産を高い次元で結びつけました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    彼の制作姿勢の根幹には「手の感覚」があり、数百枚に及ぶスケッチを描き模型を制作しながら形態を徹底的に検証し、試作を重ねる独自のデザインプロセスを実践しました。\u003cbr\u003e\n    また、ラップランドの自然から強い影響を受け、その風景や氷の造形は多くの作品のインスピレーションとなっています。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    ルニング賞（1956年）、ミラノ・トリエンナーレでは展示、ガラス、木製彫刻の3部門でグランプリ（1954年・1957年）を受賞するなど受賞歴多数。\n  \u003c\/p\u003e\n\n\u003c\/div\u003e","brand":"TAPIO WIRKKALA","offers":[{"title":"CLEAR \/ TWGL294","offer_id":48496115187952,"sku":null,"price":35750.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/TWGL294_1.jpg?v=1765526938"},{"product_id":"art-object-ashtray-ice-breaker-3319","title":"ART OBJECT \/ ASHTRAY \"ICE BREAKER\" 3318","description":"\u003c!-- 上段：作品説明 --\u003e\n\u003cp\u003e\n1963年から1974年、1986年から1987年に製造。\u003cbr\u003e\nおおよそ30mmの厚みがある底部に、海面に浮かぶ大小様々な氷山・流氷をスタッズのような三角錐で表現した作品。\n\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e\nカットサインは『TAPIO WIRKKALA -3318\u003cbr\u003e\n※目立つダメージなく良い状態です。\n\u003c\/p\u003e\n\u003c!-- 下段：プロフィール（Tapio Wirkkala） --\u003e\n\u003cdiv style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n\n  \u003ch3\u003e\u003cstrong\u003eTAPIO WIRKKALA｜タピオ・ヴィルカラ｜1915-1985｜FINLAND\u003c\/strong\u003e\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    Tapio Wirkkala（タピオ・ヴィルカラ）は、フィンランドデザインを国際的成功へと導いた最も重要な人物のひとりであり、20世紀を代表するデザイナーのひとりです。\u003cbr\u003e\n    1946年のKarhula-Iittalaガラスデザインコンペでの受賞を契機に活動を本格化させ、1951年ミラノ・トリエンナーレのフィンランド館の展示デザインによって世界的評価を確立しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    ガラス、木工、金属工芸、陶磁器など幅広い分野で活動し、Iittala、Kultakeskus、Rosenthalなど多くの企業と協働。\u003cbr\u003e\n    量産プロダクトから一点制作のアートガラスや彫刻までジャンルを横断し、自然と幾何学、工芸と工業生産、芸術と実用品といった異なる領域を分け隔てることなく手がけました。\u003cbr\u003e\n    素材への深い理解に基づく造形美によって、芸術性と工業生産を高い次元で結びつけました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    彼の制作姿勢の根幹には「手の感覚」があり、数百枚に及ぶスケッチを描き模型を制作しながら形態を徹底的に検証し、試作を重ねる独自のデザインプロセスを実践しました。\u003cbr\u003e\n    また、ラップランドの自然から強い影響を受け、その風景や氷の造形は多くの作品のインスピレーションとなっています。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    ルニング賞（1956年）、ミラノ・トリエンナーレでは展示、ガラス、木製彫刻の3部門でグランプリ（1954年・1957年）を受賞するなど受賞歴多数。\n  \u003c\/p\u003e\n\n\u003c\/div\u003e","brand":"TAPIO WIRKKALA","offers":[{"title":"CLEAR \/ TWGL295","offer_id":48496184819952,"sku":null,"price":41250.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/TWGL295_1.jpg?v=1765527026"},{"product_id":"pendant-silver-moon","title":"\"SILVER MOON\" PENDANT","description":"\u003c!-- 上段：作品説明 --\u003e\n\u003cp\u003e\nTapio Wirkkala（タピオ・ヴィルカラ）は、ガラスと並びフィンランドの金属工芸におけるモダンデザインを切り拓いたパイオニアのひとりです。\u003cbr\u003e\n装飾的な古典様式が主流であった戦後の金属工芸の分野において、Bertel Gardberg（バーテル・ガードバーグ）と共に新しい方向性を提示しました。\u003cbr\u003e\n1940年代後半のコンペティションで注目を集め、1951年よりKultakeskusと協働。以後30年以上にわたり数多くのデザインを手がけ、同社のコレクションの近代化に大きく貢献しました。\n\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e\nジュエリーに関しては、1966年から受注生産によるゴールドジュエリー、1970年からシルバージュエリーのデザインをはじめて一般に流通するようになりました。\u003cbr\u003e\nこちらは、1970年にデザインしたシルバージュエリーの代表作のひとつ『シルバームーン』のペンダント。\u003cbr\u003e\nペンダントが2サイズとイヤリングがデザインされ、こちらは、小さい方のペンダントで1971年にヘルシンキのWesterback工房で製造されたオリジナルとなります。 \n\u003c\/p\u003e \n\u003cp\u003e\nシルバー925。\u003cbr\u003e\n後年、Kultakeskusuより復刻されたペンダントとは、サイズや製造方法や細工、素材の厚みなどが異なります。\u003cbr\u003e\n※一番外側のリングにやや歪みがありますが、その他目立つダメージなく良い状態です。\n\u003c\/p\u003e\n\u003c!-- 下段：プロフィール（Tapio Wirkkala） --\u003e\n\u003cdiv style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n\n  \u003ch3\u003e\u003cstrong\u003eTAPIO WIRKKALA｜タピオ・ヴィルカラ｜1915-1985｜FINLAND\u003c\/strong\u003e\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    Tapio Wirkkala（タピオ・ヴィルカラ）は、フィンランドデザインを国際的成功へと導いた最も重要な人物のひとりであり、20世紀を代表するデザイナーのひとりです。\u003cbr\u003e\n    1946年のKarhula-Iittalaガラスデザインコンペでの受賞を契機に活動を本格化させ、1951年ミラノ・トリエンナーレのフィンランド館の展示デザインによって世界的評価を確立しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    ガラス、木工、金属工芸、陶磁器など幅広い分野で活動し、Iittala、Kultakeskus、Rosenthalなど多くの企業と協働。\u003cbr\u003e\n    量産プロダクトから一点制作のアートガラスや彫刻までジャンルを横断し、自然と幾何学、工芸と工業生産、芸術と実用品といった異なる領域を分け隔てることなく手がけました。\u003cbr\u003e\n    素材への深い理解に基づく造形美によって、芸術性と工業生産を高い次元で結びつけました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    彼の制作姿勢の根幹には「手の感覚」があり、数百枚に及ぶスケッチを描き模型を制作しながら形態を徹底的に検証し、試作を重ねる独自のデザインプロセスを実践しました。\u003cbr\u003e\n    また、ラップランドの自然から強い影響を受け、その風景や氷の造形は多くの作品のインスピレーションとなっています。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    ルニング賞（1956年）、ミラノ・トリエンナーレでは展示、ガラス、木製彫刻の3部門でグランプリ（1954年・1957年）を受賞するなど受賞歴多数。\n  \u003c\/p\u003e\n\n\u003c\/div\u003e","brand":"TAPIO WIRKKALA","offers":[{"title":"SILVER \/ TWMS008","offer_id":48496289710320,"sku":null,"price":187000.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/TWMS008_1.jpg?v=1765527202"},{"product_id":"ice-breaker-double-old-fashioned-2035","title":"\"ICE BREAKER\" DOUBLE OLD FASHIONED 2035","description":"\u003c!-- 上段：作品説明 --\u003e\n\u003cp\u003e\n1963年にデザインされたArt Object\/Ashtray \"Jäänsärkijä(ICE BREAKER)\" 3318のプロダクトモデルとして1968年に発表されたタンブラーシリーズ。\u003cbr\u003e1968年から1974年、1986年から1987年に製造されました。\u003cbr\u003e\u2028厚みがある底部に水面に浮かぶ大小様々な氷山・流氷を三角錐でデザイン。\u003cbr\u003e1968年のミラノトリエンナーレに出品された作品の一つ。\u003cbr\u003e※目立つダメージなく良い状態です。\n\n\n\u003c\/p\u003e\n\u003c!-- 下段：プロフィール（Tapio Wirkkala） --\u003e\n\u003cdiv style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n\n  \u003ch3\u003e\u003cstrong\u003eTAPIO WIRKKALA｜タピオ・ヴィルカラ｜1915-1985｜FINLAND\u003c\/strong\u003e\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    Tapio Wirkkala（タピオ・ヴィルカラ）は、フィンランドデザインを国際的成功へと導いた最も重要な人物のひとりであり、20世紀を代表するデザイナーのひとりです。\u003cbr\u003e\n    1946年のKarhula-Iittalaガラスデザインコンペでの受賞を契機に活動を本格化させ、1951年ミラノ・トリエンナーレのフィンランド館の展示デザインによって世界的評価を確立しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    ガラス、木工、金属工芸、陶磁器など幅広い分野で活動し、Iittala、Kultakeskus、Rosenthalなど多くの企業と協働。\u003cbr\u003e\n    量産プロダクトから一点制作のアートガラスや彫刻までジャンルを横断し、自然と幾何学、工芸と工業生産、芸術と実用品といった異なる領域を分け隔てることなく手がけました。\u003cbr\u003e\n    素材への深い理解に基づく造形美によって、芸術性と工業生産を高い次元で結びつけました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    彼の制作姿勢の根幹には「手の感覚」があり、数百枚に及ぶスケッチを描き模型を制作しながら形態を徹底的に検証し、試作を重ねる独自のデザインプロセスを実践しました。\u003cbr\u003e\n    また、ラップランドの自然から強い影響を受け、その風景や氷の造形は多くの作品のインスピレーションとなっています。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    ルニング賞（1956年）、ミラノ・トリエンナーレでは展示、ガラス、木製彫刻の3部門でグランプリ（1954年・1957年）を受賞するなど受賞歴多数。\n  \u003c\/p\u003e\n\n\u003c\/div\u003e","brand":"TAPIO WIRKKALA","offers":[{"title":"CLEAR \/ TWGL307","offer_id":48496762290416,"sku":null,"price":7700.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/TWGL307_1.jpg?v=1765527809"},{"product_id":"bubble-vase-sh122","title":"\"BUBBLE\" VASE SH122","description":"\u003c!-- 上段：商品説明 --\u003e\n\u003cdiv class=\"item-description\"\u003e\n  \u003cp\u003e\n    こちらは『BUBBLE』と名付けられた作品。\u003cbr\u003e\n    1955年にデザインされ、1956年から1961年に製造されました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    内被せガラス(内側にブルーバイオレットの色ガラス)、下部にターコイズの色ガラスの気泡が封入されたアートピースです。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    カットサインは「S. Hopea Nuutajärvi Notsjö -61」。\u003cbr\u003e\n    1961年製。\u003cbr\u003e\n    ※目立つダメージなく良い状態です。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\n\u003c!-- 下段：Saara Hopea 基本コード（最新版・確定版） --\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003e\u003cstrong\u003eSAARA HOPEA｜サーラ・ホペア｜1925–1984｜FINLAND\u003c\/strong\u003e\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    Saara Hopea（サーラ・ホペア）は、ガラスを中心に幅広い分野で活躍したフィンランドの女性デザイナー。\u003cbr\u003e\n    ヘルシンキの中央美術工芸学校でインテリアを専攻。卒業後は家具デザイナーとしてキャリアをスタートさせ、その後Taito社でPaavo Tynell（パーヴォ・ティネル）のもと製図工として勤務しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    1951年、Kaj Franck（カイ・フランク）の誘いにより、Taito社に籍を置きつつ、フリーのインテリアデザイナーとしてWärtsilä社（ArabiaとNuutajärviの親会社）のギャラリー／ショールームの家具および空間デザインを手がけました。その卓越した仕事ぶりが評価され、1952年にNuutajärviのデザイナーに抜擢されました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    Kaj Franckとともに、戦後の新たな生活のための必需品をデザインするという共通理念のもと、数多くのプロダクトやアートピースを手がけました。さらに、パッケージやロゴ、展示空間、Arabiaでのエナメル製品のデザインなど、その活動は多岐にわたります。Nuutajärviの魚のトレードマークでは、Kaj Franckのラフスケッチをもとに最終図案を担当し、また、パッケージデザインでも高い評価を受けました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    1959年に父の工房を継ぐこととなりNuutajärviを去りますが、7年という短い在籍期間にもかかわらず、ガラスデザイナーとしての功績は高く評価されています。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    1959年より金細工工房Ossian Hopeaにてジュエリーデザインを手がけ、1960年の結婚後は夫とともにニューヨークへ移り、エナメル細工のデザインにも取り組みました。その後、1963年からネパールやインドで暮らし、テキスタイルなどのデザインを行いました。1967年にフィンランドへ帰国し、1982年までジュエリーデザインを続けました。ジュエリーもまた、彼女にとって重要な活動のひとつとなりました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    綿密な図面に裏打ちされた合理的なデザイン力と洗練された色彩感覚、そして幅広い領域にわたって発揮された卓越したセンスは、Saara Hopeaの仕事を一貫して特徴づけるものです。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    1954年と1957年には、ミラノ・トリエンナーレでシルバーメダルを受賞。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e","brand":"SAARA HOPEA","offers":[{"title":"BLUE \/ SRHP440","offer_id":48501999960304,"sku":null,"price":121000.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/SRHP440_1.jpg?v=1765535143"},{"product_id":"candle-holderyellow-sh133","title":"CANDLE HOLDER(YELLOW) SH133","description":"\u003c!-- 上段：商品説明 --\u003e\n\u003cdiv class=\"item-description\"\u003e\n  \u003cp\u003e\n    こちらは、1958年にデザインされ、1958年から1960年に製造されたキャンドルホルダー。\u003cbr\u003e\n    イエローの外被せガラスに研削・研磨加工を施した、重厚なガラスのアートピースです。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    外側底面から7分目までがイエローの色ガラスで、その他はクリアガラス。\u003cbr\u003e\n    光の反射と屈折で角度により見え方が変わります。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    カットサインは『S.Hopea Nuutajärvi Notsjö -58』。1958年に製造されたもの。\u003cbr\u003e\n    希少なもの。\u003cbr\u003e\n    ※目立つダメージなく良い状態です。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\n\n\u003c!-- 下段：Saara Hopea 基本コード（最新版・確定版） --\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003e\u003cstrong\u003eSAARA HOPEA｜サーラ・ホペア｜1925–1984｜FINLAND\u003c\/strong\u003e\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    Saara Hopea（サーラ・ホペア）は、ガラスを中心に幅広い分野で活躍したフィンランドの女性デザイナー。\u003cbr\u003e\n    ヘルシンキの中央美術工芸学校でインテリアを専攻。卒業後は家具デザイナーとしてキャリアをスタートさせ、その後Taito社でPaavo Tynell（パーヴォ・ティネル）のもと製図工として勤務しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    1951年、Kaj Franck（カイ・フランク）の誘いにより、Taito社に籍を置きつつ、フリーのインテリアデザイナーとしてWärtsilä社（ArabiaとNuutajärviの親会社）のギャラリー／ショールームの家具および空間デザインを手がけました。その卓越した仕事ぶりが評価され、1952年にNuutajärviのデザイナーに抜擢されました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    Kaj Franckとともに、戦後の新たな生活のための必需品をデザインするという共通理念のもと、数多くのプロダクトやアートピースを手がけました。さらに、パッケージやロゴ、展示空間、Arabiaでのエナメル製品のデザインなど、その活動は多岐にわたります。Nuutajärviの魚のトレードマークでは、Kaj Franckのラフスケッチをもとに最終図案を担当し、また、パッケージデザインでも高い評価を受けました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    1959年に父の工房を継ぐこととなりNuutajärviを去りますが、7年という短い在籍期間にもかかわらず、ガラスデザイナーとしての功績は高く評価されています。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    1959年より金細工工房Ossian Hopeaにてジュエリーデザインを手がけ、1960年の結婚後は夫とともにニューヨークへ移り、エナメル細工のデザインにも取り組みました。その後、1963年からネパールやインドで暮らし、テキスタイルなどのデザインを行いました。1967年にフィンランドへ帰国し、1982年までジュエリーデザインを続けました。ジュエリーもまた、彼女にとって重要な活動のひとつとなりました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    綿密な図面に裏打ちされた合理的なデザイン力と洗練された色彩感覚、そして幅広い領域にわたって発揮された卓越したセンスは、Saara Hopeaの仕事を一貫して特徴づけるものです。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    1954年と1957年には、ミラノ・トリエンナーレでシルバーメダルを受賞。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e","brand":"SAARA HOPEA","offers":[{"title":"YELLOW \/ SRHP408","offer_id":48503046373616,"sku":null,"price":60500.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/SRHP408_1.jpg?v=1765536644"},{"product_id":"srhp411","title":"\"VEIKKO\" BEER(MOSS GREEN) 2142","description":"\u003c!-- 上段：作品説明 --\u003e\n\u003cdiv class=\"item-description\"\u003e\n\u003cp\u003eSaara Hopea(サーラ・ホペア)によってデザインされた『VEIKKO』シリーズ。\nNuutajärvi(ヌータヤルヴィ)でのキャリア後期に手掛けたステムウェアのひとつで、1959年から1967年に製造されました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e型吹きで成形された優美な曲線を描くボウルに、細すぎず太すぎずすっと伸びた円柱型のステムを組み合わせたステムウェア。\nシンプルなフォルムですが、均整の取れたバランスが Saara Hopeaらしい気品を感じさせるデザインです。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e『VEIKKO』シリーズは、製造期間に対して流通数が少ない希少なモデル。カラーガラスのモデルはさらに数が限られ、確認できる資料にも記載が見られない大変希少なもの。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e※目立つダメージなく良い状態です。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\u003c!-- 下段：Saara Hopea 基本コード（最新版・確定版） --\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top: 48px;\"\u003e\n\u003ch3\u003e\u003cstrong\u003eSAARA HOPEA｜サーラ・ホペア｜1925–1984｜FINLAND\u003c\/strong\u003e\u003c\/h3\u003e\n\u003cp\u003eSaara Hopea（サーラ・ホペア）は、ガラスを中心に幅広い分野で活躍したフィンランドの女性デザイナー。\u003cbr\u003eヘルシンキの中央美術工芸学校でインテリアを専攻。卒業後は家具デザイナーとしてキャリアをスタートさせ、その後Taito社でPaavo Tynell（パーヴォ・ティネル）のもと製図工として勤務しました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e1951年、Kaj Franck（カイ・フランク）の誘いにより、Taito社に籍を置きつつ、フリーのインテリアデザイナーとしてWärtsilä社（ArabiaとNuutajärviの親会社）のギャラリー／ショールームの家具および空間デザインを手がけました。その卓越した仕事ぶりが評価され、1952年にNuutajärviのデザイナーに抜擢されました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003eKaj Franckとともに、戦後の新たな生活のための必需品をデザインするという共通理念のもと、数多くのプロダクトやアートピースを手がけました。さらに、パッケージやロゴ、展示空間、Arabiaでのエナメル製品のデザインなど、その活動は多岐にわたります。Nuutajärviの魚のトレードマークでは、Kaj Franckのラフスケッチをもとに最終図案を担当し、また、パッケージデザインでも高い評価を受けました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e1959年に父の工房を継ぐこととなりNuutajärviを去りますが、7年という短い在籍期間にもかかわらず、ガラスデザイナーとしての功績は高く評価されています。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e1959年より金細工工房Ossian Hopeaにてジュエリーデザインを手がけ、1960年の結婚後は夫とともにニューヨークへ移り、エナメル細工のデザインにも取り組みました。その後、1963年からネパールやインドで暮らし、テキスタイルなどのデザインを行いました。1967年にフィンランドへ帰国し、1982年までジュエリーデザインを続けました。ジュエリーもまた、彼女にとって重要な活動のひとつとなりました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e綿密な図面に裏打ちされた合理的なデザイン力と洗練された色彩感覚、そして幅広い領域にわたって発揮された卓越したセンスは、Saara Hopeaの仕事を一貫して特徴づけるものです。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e1954年と1957年には、ミラノ・トリエンナーレでシルバーメダルを受賞。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e","brand":"SAARA HOPEA","offers":[{"title":"GREEN \/ SRHP411","offer_id":48503993270512,"sku":null,"price":27500.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/SRHP411_1.jpg?v=1765538003"},{"product_id":"i-102-tumbler-200ml","title":"i-102 TUMBLER(GREY) 2002-20","description":"\u003cdiv class=\"item-description\"\u003e\n  \u003cp\u003e1956年に発表されたTimo Sarpaneva(ティモ・サルパネヴァ)による『i-line』シリーズ。『i-line』は、アートガラスとプロダクトの中間に位置づけられ、一般的なガラスウェアより20〜30%高い価格帯の上質な家庭用ガラスとして販売されたシリーズです。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eグレーを基調に、ブルー、ライラック、グリーンへと展開された繊細な色彩計画も、『i-line』を特徴づける重要な要素です。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e『i-line』のためにデザインされた、赤い円の中に『i』を配したマークは、翌年にはアートガラス全般のマークとなり、その後Iittala(イッタラ)のブランドマークとして長年にわたり象徴的な存在となりました。赤い円の中の『i』は、燃え盛る炉に差し込まれた吹き竿と、その先に巻き取られたガラスを表しています。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e1957年のミラノ・トリエンナーレに出品されグランプリを受賞し、1954年のアートガラスに続くTimo Sarpanevaにとって2度目のグランプリ受賞となりました。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eこちらは『i-line』シリーズのひとつで、1956年にデザインされた『i-102』のタンブラー。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e1956年から1967年まで製造。1968年から1983年まではクリアのみ製造され、1973年からは『AROMA』の名称で販売されました。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e型吹き(廻し吹き)の技法により製造されており、ガラスの厚みやサイズ、色味には個体差があります。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e1957年のミラノ・トリエンナーレに出品されたもののひとつ。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e※目立つダメージなく良い状態です。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\n\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003e\u003cstrong\u003eTIMO SARPANEVA｜ティモ・サルパネヴァ｜1926–2006｜FINLAND\u003c\/strong\u003e\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    Timo Sarpaneva(ティモ・サルパネヴァ)は、フィンランドのモダンデザインを代表する傑出したデザイナーのひとり。ヘルシングの中央美術工芸学校でグラフィックデザインを専攻。卒業後の1949年、Riihimäen Lasi(リーヒマエン・ラシ)のガラスデザインコンペで2位を獲得し、ガラスデザイナーとして招かれますが、無償でのデザイン提供を求められたことで交渉は決裂しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    ガラスデザイナーへの道を模索するなか、1950年にA. Ahlström(アールストロム)で展覧会やショーウィンドウ、グラフィックの仕事を手がけます。同年、Holmegaard(ホルムガード)からガラスデザインの依頼を受けてA. Ahlströmを辞める決意をしますが、A. Ahlström側からグループ企業Iittala(イッタラ)でガラスデザイナーとして活動する道を示され、1951年にIittalaでのキャリアをスタートさせました。初期に手がけた芸術性の高いアートピースは、1954年のミラノ・トリエンナーレでグランプリを受賞。さらに、1956年に発表したマウスブローによる実用ガラス『i-line』でも、1957年のミラノ・トリエンナーレでグランプリを受賞しました。1946年からIittalaで活躍していた盟友Tapio Wirkkala(タピオ・ヴィルカラ)とともに、Iittalaをフィンランドを代表するブランドへと押し上げました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    Iittalaでは、ガラスデザインだけでなくポスターやパンフレット、パッケージなど、グラフィックデザインの分野でも活躍しました。なかでも『i-line』のためにデザインしたロゴマークは、のちにブランドロゴとして発展し、長くIittalaの象徴となりました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    また、Timo Sarpanevaは、ガラス職人や技術者たちとの協働を通じて、つねに新たな技法と表現を探求しました。試作と実験を重ねるなかで、1963年には木型の焼けた表面が生み出す質感に着目し、『Finlandia』シリーズへと結実させています。こうした姿勢は、のちにTampella(タンペラ)の工場で展開したテキスタイル『Ambiente』にもつながり、機械を巨大な絵筆のように用いる『マシンペインティング』という表現へと発展しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    IittalaやTampella以外にも、Venini(ベニーニ)でのアートガラス、Rosenthal(ローゼンタール)の磁器、Rosenlew(ローゼンリュ)の鋳鉄、Opa(オパ)のステンレス、ラグやグラフィックデザインまで、幅広い領域で活躍しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    1956年にルニング賞、1963年にアメリカのインターナショナル・デザイン・アワード、1967年にプロ・フィンランディア、1977年にはプロフェッサーの称号を授与されるなど受賞歴多数。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e","brand":"TIMO SARPANEVA","offers":[{"title":"GREY \/ SARP452","offer_id":48505151160560,"sku":null,"price":6600.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/SARP453_1.jpg?v=1776664246"},{"product_id":"sarp444","title":"i-103 TUMBLER(BLUE GREY) 2003-15","description":"\u003cdiv class=\"item-description\"\u003e\n  \u003cp\u003e1956年に発表されたTimo Sarpaneva(ティモ・サルパネヴァ)による『i-line』シリーズ。『i-line』は、アートガラスとプロダクトの中間に位置づけられ、一般的なガラスウェアより20〜30%高い価格帯の上質な家庭用ガラスとして販売されたシリーズです。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eグレーを基調に、ブルー、ライラック、グリーンへと展開された繊細な色彩計画も、『i-line』を特徴づける重要な要素です。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e『i-line』のためにデザインされた、赤い円の中に『i』を配したマークは、翌年にはアートガラス全般のマークとなり、その後Iittala(イッタラ)のブランドマークとして長年にわたり象徴的な存在となりました。赤い円の中の『i』は、燃え盛る炉に差し込まれた吹き竿と、その先に巻き取られたガラスを表しています。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e1957年のミラノ・トリエンナーレに出品されグランプリを受賞し、1954年のアートガラスに続くTimo Sarpanevaにとって2度目のグランプリ受賞となりました。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eこちらは『i-line』シリーズのひとつで、1956年にデザインされた『i-103』のタンブラー。1956年から1967年まで製造。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e型吹き(廻し吹き)の技法により製造されており、ガラスの厚みやサイズ、色味には個体差があります。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e1957年のミラノ・トリエンナーレに出品されたもののひとつ。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e※目立つダメージなく良い状態です。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\n\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003e\u003cstrong\u003eTIMO SARPANEVA｜ティモ・サルパネヴァ｜1926–2006｜FINLAND\u003c\/strong\u003e\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    Timo Sarpaneva(ティモ・サルパネヴァ)は、フィンランドのモダンデザインを代表する傑出したデザイナーのひとり。ヘルシングの中央美術工芸学校でグラフィックデザインを専攻。卒業後の1949年、Riihimäen Lasi(リーヒマエン・ラシ)のガラスデザインコンペで2位を獲得し、ガラスデザイナーとして招かれますが、無償でのデザイン提供を求められたことで交渉は決裂しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    ガラスデザイナーへの道を模索するなか、1950年にA. Ahlström(アールストロム)で展覧会やショーウィンドウ、グラフィックの仕事を手がけます。同年、Holmegaard(ホルムガード)からガラスデザインの依頼を受けてA. Ahlströmを辞める決意をしますが、A. Ahlström側からグループ企業Iittala(イッタラ)でガラスデザイナーとして活動する道を示され、1951年にIittalaでのキャリアをスタートさせました。初期に手がけた芸術性の高いアートピースは、1954年のミラノ・トリエンナーレでグランプリを受賞。さらに、1956年に発表したマウスブローによる実用ガラス『i-line』でも、1957年のミラノ・トリエンナーレでグランプリを受賞しました。1946年からIittalaで活躍していた盟友Tapio Wirkkala(タピオ・ヴィルカラ)とともに、Iittalaをフィンランドを代表するブランドへと押し上げました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    Iittalaでは、ガラスデザインだけでなくポスターやパンフレット、パッケージなど、グラフィックデザインの分野でも活躍しました。なかでも『i-line』のためにデザインしたロゴマークは、のちにブランドロゴとして発展し、長くIittalaの象徴となりました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    また、Timo Sarpanevaは、ガラス職人や技術者たちとの協働を通じて、つねに新たな技法と表現を探求しました。試作と実験を重ねるなかで、1963年には木型の焼けた表面が生み出す質感に着目し、『Finlandia』シリーズへと結実させています。こうした姿勢は、のちにTampella(タンペラ)の工場で展開したテキスタイル『Ambiente』にもつながり、機械を巨大な絵筆のように用いる『マシンペインティング』という表現へと発展しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    IittalaやTampella以外にも、Venini(ベニーニ)でのアートガラス、Rosenthal(ローゼンタール)の磁器、Rosenlew(ローゼンリュ)の鋳鉄、Opa(オパ)のステンレス、ラグやグラフィックデザインまで、幅広い領域で活躍しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    1956年にルニング賞、1963年にアメリカのインターナショナル・デザイン・アワード、1967年にプロ・フィンランディア、1977年にはプロフェッサーの称号を授与されるなど受賞歴多数。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e","brand":"TIMO SARPANEVA","offers":[{"title":"BLUE \/ SARP444","offer_id":48505194053872,"sku":null,"price":6600.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/SARP445_1_41ad6d56-27d2-4e93-a5bb-074639207a2a.jpg?v=1776665866"},{"product_id":"sarp366","title":"i-104 TUMBLER(BLUE) Exhibition edition 2002","description":"\u003cdiv class=\"item-description\"\u003e\n  \u003cp\u003e1956年に発表されたTimo Sarpaneva(ティモ・サルパネヴァ)による『i-line』シリーズ。『i-line』は、アートガラスとプロダクトの中間に位置づけられ、一般的なガラスウェアより20〜30%高い価格帯の上質な家庭用ガラスとして販売されたシリーズです。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eグレーを基調に、ブルー、ライラック、グリーンへと展開された繊細な色彩計画も、『i-line』を特徴づける重要な要素です。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e『i-line』のためにデザインされた、赤い円の中に『i』を配したマークは、翌年にはアートガラス全般のマークとなり、その後Iittala(イッタラ)のブランドマークとして長年にわたり象徴的な存在となりました。赤い円の中の『i』は、燃え盛る炉に差し込まれた吹き竿と、その先に巻き取られたガラスを表しています。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e1957年のミラノ・トリエンナーレに出品されグランプリを受賞し、1954年のアートガラスに続くTimo Sarpanevaにとって2度目のグランプリ受賞となりました。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eこちらは『i-line』シリーズのひとつで、1956年にデザインされた『i-104』のタンブラー。\u003c\/p\u003e\n  \u003cp\u003e2002年にヘルシンキのDesignmuseoで開催された『Timo Sarpaneva Collection』展を記念して復刻されたもの。\n『Exhibition edition 2002 Timo Sarpaneva』の刻印あり。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e型吹き(廻し吹き)の技法により製造されており、ガラスの厚みやサイズ、色味には個体差があります。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e『i-104』は、1957年のミラノ・トリエンナーレに出品されたもののひとつ。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e※目立つダメージなく良い状態です。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003e\u003cstrong\u003eTIMO SARPANEVA｜ティモ・サルパネヴァ｜1926–2006｜FINLAND\u003c\/strong\u003e\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    Timo Sarpaneva(ティモ・サルパネヴァ)は、フィンランドのモダンデザインを代表する傑出したデザイナーのひとり。ヘルシングの中央美術工芸学校でグラフィックデザインを専攻。卒業後の1949年、Riihimäen Lasi(リーヒマエン・ラシ)のガラスデザインコンペで2位を獲得し、ガラスデザイナーとして招かれますが、無償でのデザイン提供を求められたことで交渉は決裂しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    ガラスデザイナーへの道を模索するなか、1950年にA. Ahlström(アールストロム)で展覧会やショーウィンドウ、グラフィックの仕事を手がけます。同年、Holmegaard(ホルムガード)からガラスデザインの依頼を受けてA. Ahlströmを辞める決意をしますが、A. Ahlström側からグループ企業Iittala(イッタラ)でガラスデザイナーとして活動する道を示され、1951年にIittalaでのキャリアをスタートさせました。初期に手がけた芸術性の高いアートピースは、1954年のミラノ・トリエンナーレでグランプリを受賞。さらに、1956年に発表したマウスブローによる実用ガラス『i-line』でも、1957年のミラノ・トリエンナーレでグランプリを受賞しました。1946年からIittalaで活躍していた盟友Tapio Wirkkala(タピオ・ヴィルカラ)とともに、Iittalaをフィンランドを代表するブランドへと押し上げました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    Iittalaでは、ガラスデザインだけでなくポスターやパンフレット、パッケージなど、グラフィックデザインの分野でも活躍しました。なかでも『i-line』のためにデザインしたロゴマークは、のちにブランドロゴとして発展し、長くIittalaの象徴となりました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    また、Timo Sarpanevaは、ガラス職人や技術者たちとの協働を通じて、つねに新たな技法と表現を探求しました。試作と実験を重ねるなかで、1963年には木型の焼けた表面が生み出す質感に着目し、『Finlandia』シリーズへと結実させています。こうした姿勢は、のちにTampella(タンペラ)の工場で展開したテキスタイル『Ambiente』にもつながり、機械を巨大な絵筆のように用いる『マシンペインティング』という表現へと発展しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    IittalaやTampella以外にも、Venini(ベニーニ)でのアートガラス、Rosenthal(ローゼンタール)の磁器、Rosenlew(ローゼンリュ)の鋳鉄、Opa(オパ)のステンレス、ラグやグラフィックデザインまで、幅広い領域で活躍しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    1956年にルニング賞、1963年にアメリカのインターナショナル・デザイン・アワード、1967年にプロ・フィンランディア、1977年にはプロフェッサーの称号を授与されるなど受賞歴多数。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e","brand":"TIMO SARPANEVA","offers":[{"title":"BLUE \/ SARP366","offer_id":48505205194992,"sku":null,"price":6600.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/SARP366_1.jpg?v=1765541836"},{"product_id":"sarp411","title":"i-106 TUMBLER(LILAC GREY) 2006-12","description":"\u003cdiv class=\"item-description\"\u003e\n  \u003cp\u003e1956年に発表されたTimo Sarpaneva(ティモ・サルパネヴァ)による『i-line』シリーズ。『i-line』は、アートガラスとプロダクトの中間に位置づけられ、一般的なガラスウェアより20〜30%高い価格帯の上質な家庭用ガラスとして販売されたシリーズです。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eグレーを基調に、ブルー、ライラック、グリーンへと展開された繊細な色彩計画も、『i-line』を特徴づける重要な要素です。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e『i-line』のためにデザインされた、赤い円の中に『i』を配したマークは、翌年にはアートガラス全般のマークとなり、その後Iittala(イッタラ)のブランドマークとして長年にわたり象徴的な存在となりました。赤い円の中の『i』は、燃え盛る炉に差し込まれた吹き竿と、その先に巻き取られたガラスを表しています。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e1957年のミラノ・トリエンナーレに出品されグランプリを受賞し、1954年のアートガラスに続くTimo Sarpanevaにとって2度目のグランプリ受賞となりました。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eこちらは『i-line』シリーズのひとつで、1956年にデザインされた『i-106』のタンブラー。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e1957年から1967年まで製造。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e積み重ね可能なスタッキング構造。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e型吹き(廻し吹き)の技法により製造されており、ガラスの厚みやサイズ、色味には個体差があります。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e※目立つダメージなく良い状態です。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\n\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003e\u003cstrong\u003eTIMO SARPANEVA｜ティモ・サルパネヴァ｜1926–2006｜FINLAND\u003c\/strong\u003e\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    Timo Sarpaneva(ティモ・サルパネヴァ)は、フィンランドのモダンデザインを代表する傑出したデザイナーのひとり。ヘルシングの中央美術工芸学校でグラフィックデザインを専攻。卒業後の1949年、Riihimäen Lasi(リーヒマエン・ラシ)のガラスデザインコンペで2位を獲得し、ガラスデザイナーとして招かれますが、無償でのデザイン提供を求められたことで交渉は決裂しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    ガラスデザイナーへの道を模索するなか、1950年にA. Ahlström(アールストロム)で展覧会やショーウィンドウ、グラフィックの仕事を手がけます。同年、Holmegaard(ホルムガード)からガラスデザインの依頼を受けてA. Ahlströmを辞める決意をしますが、A. Ahlström側からグループ企業Iittala(イッタラ)でガラスデザイナーとして活動する道を示され、1951年にIittalaでのキャリアをスタートさせました。初期に手がけた芸術性の高いアートピースは、1954年のミラノ・トリエンナーレでグランプリを受賞。さらに、1956年に発表したマウスブローによる実用ガラス『i-line』でも、1957年のミラノ・トリエンナーレでグランプリを受賞しました。1946年からIittalaで活躍していた盟友Tapio Wirkkala(タピオ・ヴィルカラ)とともに、Iittalaをフィンランドを代表するブランドへと押し上げました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    Iittalaでは、ガラスデザインだけでなくポスターやパンフレット、パッケージなど、グラフィックデザインの分野でも活躍しました。なかでも『i-line』のためにデザインしたロゴマークは、のちにブランドロゴとして発展し、長くIittalaの象徴となりました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    また、Timo Sarpanevaは、ガラス職人や技術者たちとの協働を通じて、つねに新たな技法と表現を探求しました。試作と実験を重ねるなかで、1963年には木型の焼けた表面が生み出す質感に着目し、『Finlandia』シリーズへと結実させています。こうした姿勢は、のちにTampella(タンペラ)の工場で展開したテキスタイル『Ambiente』にもつながり、機械を巨大な絵筆のように用いる『マシンペインティング』という表現へと発展しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    IittalaやTampella以外にも、Venini(ベニーニ)でのアートガラス、Rosenthal(ローゼンタール)の磁器、Rosenlew(ローゼンリュ)の鋳鉄、Opa(オパ)のステンレス、ラグやグラフィックデザインまで、幅広い領域で活躍しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    1956年にルニング賞、1963年にアメリカのインターナショナル・デザイン・アワード、1967年にプロ・フィンランディア、1977年にはプロフェッサーの称号を授与されるなど受賞歴多数。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e","brand":"TIMO SARPANEVA","offers":[{"title":"LILAC \/ SARP411","offer_id":48505224364272,"sku":null,"price":6600.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/SARP412_1.jpg?v=1776666207"},{"product_id":"sarp433","title":"i-114 TUMBLER(BLUE GREY) 2014-10","description":"\u003cdiv class=\"item-description\"\u003e\n  \u003cp\u003e1956年に発表されたTimo Sarpaneva(ティモ・サルパネヴァ)による『i-line』シリーズ。『i-line』は、アートガラスとプロダクトの中間に位置づけられ、一般的なガラスウェアより20〜30%高い価格帯の上質な家庭用ガラスとして販売されたシリーズです。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eグレーを基調に、ブルー、ライラック、グリーンへと展開された繊細な色彩計画も、『i-line』を特徴づける重要な要素です。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e『i-line』のためにデザインされた、赤い円の中に『i』を配したマークは、翌年にはアートガラス全般のマークとなり、その後Iittala(イッタラ)のブランドマークとして長年にわたり象徴的な存在となりました。赤い円の中の『i』は、燃え盛る炉に差し込まれた吹き竿と、その先に巻き取られたガラスを表しています。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e1957年のミラノ・トリエンナーレに出品されグランプリを受賞し、1954年のアートガラスに続くTimo Sarpanevaにとって2度目のグランプリ受賞となりました。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eこちらは『i-line』シリーズのひとつで、1958年にデザインされた『i-114』のタンブラー。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e1959年から1970年まで製造。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e型吹き(廻し吹き)の技法により製造されており、ガラスの厚みやサイズ、色味には個体差があります。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e※目立つダメージなく良い状態です。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\n\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003e\u003cstrong\u003eTIMO SARPANEVA｜ティモ・サルパネヴァ｜1926–2006｜FINLAND\u003c\/strong\u003e\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    Timo Sarpaneva(ティモ・サルパネヴァ)は、フィンランドのモダンデザインを代表する傑出したデザイナーのひとり。ヘルシングの中央美術工芸学校でグラフィックデザインを専攻。卒業後の1949年、Riihimäen Lasi(リーヒマエン・ラシ)のガラスデザインコンペで2位を獲得し、ガラスデザイナーとして招かれますが、無償でのデザイン提供を求められたことで交渉は決裂しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    ガラスデザイナーへの道を模索するなか、1950年にA. Ahlström(アールストロム)で展覧会やショーウィンドウ、グラフィックの仕事を手がけます。同年、Holmegaard(ホルムガード)からガラスデザインの依頼を受けてA. Ahlströmを辞める決意をしますが、A. Ahlström側からグループ企業Iittala(イッタラ)でガラスデザイナーとして活動する道を示され、1951年にIittalaでのキャリアをスタートさせました。初期に手がけた芸術性の高いアートピースは、1954年のミラノ・トリエンナーレでグランプリを受賞。さらに、1956年に発表したマウスブローによる実用ガラス『i-line』でも、1957年のミラノ・トリエンナーレでグランプリを受賞しました。1946年からIittalaで活躍していた盟友Tapio Wirkkala(タピオ・ヴィルカラ)とともに、Iittalaをフィンランドを代表するブランドへと押し上げました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    Iittalaでは、ガラスデザインだけでなくポスターやパンフレット、パッケージなど、グラフィックデザインの分野でも活躍しました。なかでも『i-line』のためにデザインしたロゴマークは、のちにブランドロゴとして発展し、長くIittalaの象徴となりました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    また、Timo Sarpanevaは、ガラス職人や技術者たちとの協働を通じて、つねに新たな技法と表現を探求しました。試作と実験を重ねるなかで、1963年には木型の焼けた表面が生み出す質感に着目し、『Finlandia』シリーズへと結実させています。こうした姿勢は、のちにTampella(タンペラ)の工場で展開したテキスタイル『Ambiente』にもつながり、機械を巨大な絵筆のように用いる『マシンペインティング』という表現へと発展しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    IittalaやTampella以外にも、Venini(ベニーニ)でのアートガラス、Rosenthal(ローゼンタール)の磁器、Rosenlew(ローゼンリュ)の鋳鉄、Opa(オパ)のステンレス、ラグやグラフィックデザインまで、幅広い領域で活躍しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    1956年にルニング賞、1963年にアメリカのインターナショナル・デザイン・アワード、1967年にプロ・フィンランディア、1977年にはプロフェッサーの称号を授与されるなど受賞歴多数。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e","brand":"TIMO SARPANEVA","offers":[{"title":"BLUE \/ SARP433","offer_id":48505232785648,"sku":null,"price":6600.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/SARP434_1.jpg?v=1776666494"},{"product_id":"sarp309","title":"“JURMO” SHERRY GLASS 2133-011","description":"\u003cdiv class=\"item-description\"\u003e\n  \u003cp\u003e1978年にデザインされ、1980年から1983年に製造。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eフィンランドの海岸と外海との間にあるアーキペラゴ(群島)のひとつJURMOの名を冠したグラスウェアシリーズ。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e緩やかな曲線を描く美しいフォルムは、JURMOへの旅で海水に長い間磨かれた小石からインスピレーションを得たもの。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e希少なモデル。※おそらく未使用、非常に良い状態です。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\n\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003e\u003cstrong\u003eTIMO SARPANEVA｜ティモ・サルパネヴァ｜1926–2006｜FINLAND\u003c\/strong\u003e\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    Timo Sarpaneva(ティモ・サルパネヴァ)は、フィンランドのモダンデザインを代表する傑出したデザイナーのひとり。ヘルシングの中央美術工芸学校でグラフィックデザインを専攻。卒業後の1949年、Riihimäen Lasi(リーヒマエン・ラシ)のガラスデザインコンペで2位を獲得し、ガラスデザイナーとして招かれますが、無償でのデザイン提供を求められたことで交渉は決裂しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    ガラスデザイナーへの道を模索するなか、1950年にA. Ahlström(アールストロム)で展覧会やショーウィンドウ、グラフィックの仕事を手がけます。同年、Holmegaard(ホルムガード)からガラスデザインの依頼を受けてA. Ahlströmを辞める決意をしますが、A. Ahlström側からグループ企業Iittala(イッタラ)でガラスデザイナーとして活動する道を示され、1951年にIittalaでのキャリアをスタートさせました。初期に手がけた芸術性の高いアートピースは、1954年のミラノ・トリエンナーレでグランプリを受賞。さらに、1956年に発表したマウスブローによる実用ガラス『i-line』でも、1957年のミラノ・トリエンナーレでグランプリを受賞しました。1946年からIittalaで活躍していた盟友Tapio Wirkkala(タピオ・ヴィルカラ)とともに、Iittalaをフィンランドを代表するブランドへと押し上げました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    Iittalaでは、ガラスデザインだけでなくポスターやパンフレット、パッケージなど、グラフィックデザインの分野でも活躍しました。なかでも『i-line』のためにデザインしたロゴマークは、のちにブランドロゴとして発展し、長くIittalaの象徴となりました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    また、Timo Sarpanevaは、ガラス職人や技術者たちとの協働を通じて、つねに新たな技法と表現を探求しました。試作と実験を重ねるなかで、1963年には木型の焼けた表面が生み出す質感に着目し、『Finlandia』シリーズへと結実させています。こうした姿勢は、のちにTampella(タンペラ)の工場で展開したテキスタイル『Ambiente』にもつながり、機械を巨大な絵筆のように用いる『マシンペインティング』という表現へと発展しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    IittalaやTampella以外にも、Venini(ベニーニ)でのアートガラス、Rosenthal(ローゼンタール)の磁器、Rosenlew(ローゼンリュ)の鋳鉄、Opa(オパ)のステンレス、ラグやグラフィックデザインまで、幅広い領域で活躍しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    1956年にルニング賞、1963年にアメリカのインターナショナル・デザイン・アワード、1967年にプロ・フィンランディア、1977年にはプロフェッサーの称号を授与されるなど受賞歴多数。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e","brand":"TIMO SARPANEVA","offers":[{"title":"CLEAR \/ SARP309","offer_id":48505245991152,"sku":null,"price":6600.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/SARP309_1.jpg?v=1765542347"},{"product_id":"sarp408","title":"i-104 TUMBLER(LILAC GREY) 2004-4 6pcs BOX","description":"\u003cdiv class=\"item-description\"\u003e\n  \u003cp\u003e1956年に発表されたTimo Sarpaneva(ティモ・サルパネヴァ)による『i-line』シリーズ。『i-line』は、アートガラスとプロダクトの中間に位置づけられ、一般的なガラスウェアより20〜30%高い価格帯の上質な家庭用ガラスとして販売されたシリーズです。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eグレーを基調に、ブルー、ライラック、グリーンへと展開された繊細な色彩計画も、『i-line』を特徴づける重要な要素です。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e『i-line』のためにデザインされた、赤い円の中に『i』を配したマークは、翌年にはアートガラス全般のマークとなり、その後Iittala(イッタラ)のブランドマークとして長年にわたり象徴的な存在となりました。赤い円の中の『i』は、燃え盛る炉に差し込まれた吹き竿と、その先に巻き取られたガラスを表しています。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e1957年のミラノ・トリエンナーレに出品されグランプリを受賞し、1954年のアートガラスに続くTimo Sarpanevaにとって2度目のグランプリ受賞となりました。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eこちらは『i-line』シリーズのひとつで、1956年にデザインされた『i-104』の小ぶりなタンブラー。1956年から1967年まで製造。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e型吹き(廻し吹き)の技法により製造されており、ガラスの厚みやサイズ、色味には個体差があります。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e1957年のミラノ・トリエンナーレに出品されたもののひとつ。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eパッケージデザインもTimo Sarpanevaによるもの。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e※目立つダメージなく良い状態です。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003e\u003cstrong\u003eTIMO SARPANEVA｜ティモ・サルパネヴァ｜1926–2006｜FINLAND\u003c\/strong\u003e\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    Timo Sarpaneva(ティモ・サルパネヴァ)は、フィンランドのモダンデザインを代表する傑出したデザイナーのひとり。ヘルシングの中央美術工芸学校でグラフィックデザインを専攻。卒業後の1949年、Riihimäen Lasi(リーヒマエン・ラシ)のガラスデザインコンペで2位を獲得し、ガラスデザイナーとして招かれますが、無償でのデザイン提供を求められたことで交渉は決裂しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    ガラスデザイナーへの道を模索するなか、1950年にA. Ahlström(アールストロム)で展覧会やショーウィンドウ、グラフィックの仕事を手がけます。同年、Holmegaard(ホルムガード)からガラスデザインの依頼を受けてA. Ahlströmを辞める決意をしますが、A. Ahlström側からグループ企業Iittala(イッタラ)でガラスデザイナーとして活動する道を示され、1951年にIittalaでのキャリアをスタートさせました。初期に手がけた芸術性の高いアートピースは、1954年のミラノ・トリエンナーレでグランプリを受賞。さらに、1956年に発表したマウスブローによる実用ガラス『i-line』でも、1957年のミラノ・トリエンナーレでグランプリを受賞しました。1946年からIittalaで活躍していた盟友Tapio Wirkkala(タピオ・ヴィルカラ)とともに、Iittalaをフィンランドを代表するブランドへと押し上げました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    Iittalaでは、ガラスデザインだけでなくポスターやパンフレット、パッケージなど、グラフィックデザインの分野でも活躍しました。なかでも『i-line』のためにデザインしたロゴマークは、のちにブランドロゴとして発展し、長くIittalaの象徴となりました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    また、Timo Sarpanevaは、ガラス職人や技術者たちとの協働を通じて、つねに新たな技法と表現を探求しました。試作と実験を重ねるなかで、1963年には木型の焼けた表面が生み出す質感に着目し、『Finlandia』シリーズへと結実させています。こうした姿勢は、のちにTampella(タンペラ)の工場で展開したテキスタイル『Ambiente』にもつながり、機械を巨大な絵筆のように用いる『マシンペインティング』という表現へと発展しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    IittalaやTampella以外にも、Venini(ベニーニ)でのアートガラス、Rosenthal(ローゼンタール)の磁器、Rosenlew(ローゼンリュ)の鋳鉄、Opa(オパ)のステンレス、ラグやグラフィックデザインまで、幅広い領域で活躍しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    1956年にルニング賞、1963年にアメリカのインターナショナル・デザイン・アワード、1967年にプロ・フィンランディア、1977年にはプロフェッサーの称号を授与されるなど受賞歴多数。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e","brand":"TIMO SARPANEVA","offers":[{"title":"LILAC \/ SARP408","offer_id":48505253036272,"sku":null,"price":26400.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/SARP408_1.jpg?v=1765542673"},{"product_id":"sarp394","title":"i-104 TUMBLER(CLEAR) 2004-4 6pcs BOX","description":"\u003cdiv class=\"item-description\"\u003e\n  \u003cp\u003e1956年に発表されたTimo Sarpaneva(ティモ・サルパネヴァ)による『i-line』シリーズ。『i-line』は、アートガラスとプロダクトの中間に位置づけられ、一般的なガラスウェアより20〜30%高い価格帯の上質な家庭用ガラスとして販売されたシリーズです。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eグレーを基調に、ブルー、ライラック、グリーンへと展開された繊細な色彩計画も、『i-line』を特徴づける重要な要素です。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e『i-line』のためにデザインされた、赤い円の中に『i』を配したマークは、翌年にはアートガラス全般のマークとなり、その後Iittala(イッタラ)のブランドマークとして長年にわたり象徴的な存在となりました。赤い円の中の『i』は、燃え盛る炉に差し込まれた吹き竿と、その先に巻き取られたガラスを表しています。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e1957年のミラノ・トリエンナーレに出品されグランプリを受賞し、1954年のアートガラスに続くTimo Sarpanevaにとって2度目のグランプリ受賞となりました。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eこちらは『i-line』シリーズのひとつで、1956年にデザインされた『i-104』の小ぶりなタンブラー。1956年から1967年まで製造。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e型吹き(廻し吹き)の技法により製造されており、ガラスの厚みやサイズ、色味には個体差があります。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e1957年のミラノ・トリエンナーレに出品されたもののひとつ。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eパッケージデザインもTimo Sarpanevaによるもの。クリアガラスは希少色。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e※目立つダメージなく良い状態です。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003e\u003cstrong\u003eTIMO SARPANEVA｜ティモ・サルパネヴァ｜1926–2006｜FINLAND\u003c\/strong\u003e\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    Timo Sarpaneva(ティモ・サルパネヴァ)は、フィンランドのモダンデザインを代表する傑出したデザイナーのひとり。ヘルシングの中央美術工芸学校でグラフィックデザインを専攻。卒業後の1949年、Riihimäen Lasi(リーヒマエン・ラシ)のガラスデザインコンペで2位を獲得し、ガラスデザイナーとして招かれますが、無償でのデザイン提供を求められたことで交渉は決裂しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    ガラスデザイナーへの道を模索するなか、1950年にA. Ahlström(アールストロム)で展覧会やショーウィンドウ、グラフィックの仕事を手がけます。同年、Holmegaard(ホルムガード)からガラスデザインの依頼を受けてA. Ahlströmを辞める決意をしますが、A. Ahlström側からグループ企業Iittala(イッタラ)でガラスデザイナーとして活動する道を示され、1951年にIittalaでのキャリアをスタートさせました。初期に手がけた芸術性の高いアートピースは、1954年のミラノ・トリエンナーレでグランプリを受賞。さらに、1956年に発表したマウスブローによる実用ガラス『i-line』でも、1957年のミラノ・トリエンナーレでグランプリを受賞しました。1946年からIittalaで活躍していた盟友Tapio Wirkkala(タピオ・ヴィルカラ)とともに、Iittalaをフィンランドを代表するブランドへと押し上げました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    Iittalaでは、ガラスデザインだけでなくポスターやパンフレット、パッケージなど、グラフィックデザインの分野でも活躍しました。なかでも『i-line』のためにデザインしたロゴマークは、のちにブランドロゴとして発展し、長くIittalaの象徴となりました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    また、Timo Sarpanevaは、ガラス職人や技術者たちとの協働を通じて、つねに新たな技法と表現を探求しました。試作と実験を重ねるなかで、1963年には木型の焼けた表面が生み出す質感に着目し、『Finlandia』シリーズへと結実させています。こうした姿勢は、のちにTampella(タンペラ)の工場で展開したテキスタイル『Ambiente』にもつながり、機械を巨大な絵筆のように用いる『マシンペインティング』という表現へと発展しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    IittalaやTampella以外にも、Venini(ベニーニ)でのアートガラス、Rosenthal(ローゼンタール)の磁器、Rosenlew(ローゼンリュ)の鋳鉄、Opa(オパ)のステンレス、ラグやグラフィックデザインまで、幅広い領域で活躍しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    1956年にルニング賞、1963年にアメリカのインターナショナル・デザイン・アワード、1967年にプロ・フィンランディア、1977年にはプロフェッサーの称号を授与されるなど受賞歴多数。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e","brand":"TIMO SARPANEVA","offers":[{"title":"CLEAR \/ SARP394","offer_id":48505258213616,"sku":null,"price":26400.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/SARP394_1.jpg?v=1765542589"},{"product_id":"punch-ladle-1927-210mm","title":"PUNCH LADLE 1927 210mm","description":"\u003cdiv class=\"black-text-01\"\u003e\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1960年にデザインされ、1961年から1963年、1972年から1973年に製造されたガラス製レードル。\u003cbr\u003e\n    型吹きのボウル部分に宙吹きされた持ち手部分が融着されています。\u003cbr\u003e\n    ボウルの縁に引っ掛かるように持ち手の端部分がくるりと巻かれたデザイン。\u003cbr\u003e\n    1963年にはPunch用のグラス(1736)がデザインされ、取っ手部にこのデザインが踏襲されています。\u003cbr\u003e\n    希少なもの。\u003cbr\u003e\n    画像9枚目右。\u003cbr\u003e\n    ※目立つダメージなく良い状態です。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003eKAJ FRANCK｜カイ・フランク｜1911–1989｜FINLAND\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    Kaj Franck(カイ・フランク)は、20世紀フィンランドのモダンデザインを代表するデザイナーのひとり。\n    ヘルシンキの中央美術工芸学校(現アールト大学)ではArttu Brummer(アルッツ・ブルマー)に師事。卒業後は家具やインテリア、テキスタイルなど幅広い分野で活動しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1945年にKurt Ekholm(クルト・エクホルム)の要請でArabia(アラビア)に主任デザイナーとして迎えられ、戦後の日常生活に必要なテーブルウェアの刷新を担いました。\n    1946年には、Karhula-Iittala(カルフラ・イッタラ)のコンペで入賞したことを機にIittalaでガラスデザイナーとなりますが、1950年にArabiaと同じWärtsilä(ヴァルチラ)傘下のグループ企業となったNuutajärvi(ヌータヤルヴィ)に移籍し、ディレクターとしてArabiaと共通理念のガラスウェアのデザインを始めました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    『フィンランドの良心』とも称されたKaj Franckのデザイン思想は、「大衆のためのデザイン」と「デザイナーの社会的責任」という考えに基づいています。\n    シンプルな幾何学フォルムと装飾を排した色彩による表現で、長く使い続けることのできる普遍的なプロダクトを数多くデザインしました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    ArabiaのKILTA(現TEEMA)シリーズやNuutajärviのタンブラー5027(現KARTIO)シリーズは、現在もIittalaで製造が続けられるロングセラーとなっています。\n    またその一方で、Nuutajärviでは工芸的アプローチによる芸術性の高いユニークピースのガラス作品も数多く手がけており、これらにFranckの芸術家としての側面を見ることができます。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1960年からはヘルシンキの芸術デザイン学校(現アールト大学)で教育にも携わり、フィンランドのデザイン教育にも大きな影響を与えました。\n    ルニング賞(1955年)、ミラノ・トリエンナーレ グランプリ(1957年)、コンパッソ・ドーロ賞(1957年)など受賞歴多数。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\"","brand":"KAJ FRANCK","offers":[{"title":"CLEAR \/ KFGL1791","offer_id":48590636515568,"sku":null,"price":14850.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/KFGL1791_1.jpg?v=1765779796"},{"product_id":"punch-ladle-1927-195mm","title":"PUNCH LADLE 1927 195mm","description":"\u003cdiv class=\"black-text-01\"\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e1960年にデザインされ、1961年から1963年、1972年から1973年に製造されたガラス製レードル。\u003cbr\u003e型吹きのボウル部分に宙吹きされた持ち手部分が融着されています。\u003cbr\u003eボウルの縁に引っ掛かるように持ち手の端部分がくるりと巻かれたデザイン。\u003cbr\u003e1963年にはPunch用のグラス(1736)がデザインされ、取っ手部にこのデザインが踏襲されています。\u003cbr\u003e希少なもの。\u003cbr\u003e画像9枚目左。\u003cbr\u003e※目立つダメージなく良い状態です。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003eKAJ FRANCK｜カイ・フランク｜1911–1989｜FINLAND\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    Kaj Franck(カイ・フランク)は、20世紀フィンランドのモダンデザインを代表するデザイナーのひとり。\n    ヘルシンキの中央美術工芸学校(現アールト大学)ではArttu Brummer(アルッツ・ブルマー)に師事。卒業後は家具やインテリア、テキスタイルなど幅広い分野で活動しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1945年にKurt Ekholm(クルト・エクホルム)の要請でArabia(アラビア)に主任デザイナーとして迎えられ、戦後の日常生活に必要なテーブルウェアの刷新を担いました。\n    1946年には、Karhula-Iittala(カルフラ・イッタラ)のコンペで入賞したことを機にIittalaでガラスデザイナーとなりますが、1950年にArabiaと同じWärtsilä(ヴァルチラ)傘下のグループ企業となったNuutajärvi(ヌータヤルヴィ)に移籍し、ディレクターとしてArabiaと共通理念のガラスウェアのデザインを始めました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    『フィンランドの良心』とも称されたKaj Franckのデザイン思想は、「大衆のためのデザイン」と「デザイナーの社会的責任」という考えに基づいています。\n    シンプルな幾何学フォルムと装飾を排した色彩による表現で、長く使い続けることのできる普遍的なプロダクトを数多くデザインしました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    ArabiaのKILTA(現TEEMA)シリーズやNuutajärviのタンブラー5027(現KARTIO)シリーズは、現在もIittalaで製造が続けられるロングセラーとなっています。\n    またその一方で、Nuutajärviでは工芸的アプローチによる芸術性の高いユニークピースのガラス作品も数多く手がけており、これらにFranckの芸術家としての側面を見ることができます。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1960年からはヘルシンキの芸術デザイン学校(現アールト大学)で教育にも携わり、フィンランドのデザイン教育にも大きな影響を与えました。\n    ルニング賞(1955年)、ミラノ・トリエンナーレ グランプリ(1957年)、コンパッソ・ドーロ賞(1957年)など受賞歴多数。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e","brand":"KAJ FRANCK","offers":[{"title":"CLEAR \/ KFGL1891","offer_id":48590913274096,"sku":null,"price":13750.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/KFGL1891_1_9c554415-df22-4370-a1eb-49433fcc1006.jpg?v=1765780222"},{"product_id":"aalto-butter-dishwhite-4805","title":"“AALTO” BUTTER DISH(WHITE) 4805","description":"\u003cp\u003e1932年に開催された Karhula–Iittala ガラスデザインコンペのプレスガラス部門で、第2位を獲得した「Bölgeblick」。\u003cbr\u003e\n翌1933年にはロンドンで展示されるなど早くから国際的に紹介され、1934年にKarhulaで製造が開始されました。\u003cbr\u003e\n1936年のミラノ・トリエンナーレでは展示デザインでグランプリを獲得すると同時に、「Bölgeblick」シリーズがゴールドメダルを受賞。\u003cbr\u003e\n1937年頃からはデザイナーの名前にちなみ「Aalto」シリーズとして販売されるようになりました。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e「Bölgeblick」という名称は、北欧モダンデザインの出発点ともいわれる1930年のストックホルム博覧会に登場した機能主義建築「Café Böljeblick」との関連が指摘されており、当時広がりつつあった北欧モダンデザインの潮流の中で生まれたデザインとされています。\u003cbr\u003e\nフィンランド語で「Aalto」は「波」を意味し、波紋のように広がる同心円状のフォルムはデザイナーの名前とも重なるダブルミーニングとなっています。\u003cbr\u003e\n特徴的な段状のリングは光を美しく反射させるだけでなく、器を重ねて収納できる実用性も備えています。\u003cbr\u003e\nまた、当時の量産ガラスに見られた気泡や皺状の跡を目立たなくする工夫としても機能しています。\u003cbr\u003e\n現在もIittalaで「Aino Aalto」シリーズとして製造が続く、北欧モダンデザインを代表するプロダクトのひとつです。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eこちらは、不透明な白いガラスの蓋つきバターディッシュ。\u003cbr\u003e\n製造期間は1952年から1953年、または1956年。\u003cbr\u003e\nたいへん希少なものです。\u003cbr\u003e\n※蓋の縁に小さな欠けがありますが、その他目立つダメージなく良い状態です。\u003c\/p\u003e","brand":"AINO AALTO","offers":[{"title":"WHITE \/ AINO154","offer_id":48594227953904,"sku":null,"price":132000.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/AINO154_1.jpg?v=1765849980"},{"product_id":"maija-dish-for-cold-cuts","title":"“MAIJA” DISH FOR COLD CUTS","description":"\u003cdiv class=\"black-text-01\"\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\"\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\"\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\"\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\"\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\u003cmeta charset=\"utf-8\"\u003e\u003cmeta charset=\"utf-8\"\u003e\u003cspan\u003e1936年にデザイン。\u003c\/span\u003e\u003cbr\u003e\u003cspan\u003e1937年のパリ万国博覧会に向けたKARHULA-IITTALAガラスコンペに出展した『MAIJA』シリーズのひとつで、\u003c\/span\u003e\u003cbr\u003e\u003cspan\u003eシリーズの中で唯一製品化されたコールドカット用のガラス容器。\u003c\/span\u003e\u003cbr\u003e\u003cspan\u003e※内側表面の四隅あたりに水垢のようなところがあります。\u003c\/span\u003e\u003cbr\u003e\u003cspan\u003e製造時より上部の角に亀裂のようなものがあります。\u003c\/span\u003e\u003cbr\u003e\u003cspan\u003eその他小傷はありますが、概ね良い状態です。\u003c\/span\u003e\u003cbr\u003e\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\u003c\/div\u003e","brand":"AINO AALTO","offers":[{"title":"BLACK \/ AINO288","offer_id":48594229297392,"sku":null,"price":88000.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/AINO288_1.jpg?v=1765850205"},{"product_id":"tmcr006","title":"MUG","description":"\u003cdiv class=\"item-description\"\u003e\n\u003cp\u003eToini Muona(トイニ・ムオナ)により、ろくろで制作されたユニークピースのマグ。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003eやや粗めのストーンウェア素地に、半艶の深い青緑や淡い紫、褐色が入り混じる複雑な釉薬が施されています。力強く立ち上がったろくろ目が残る造形と、釉薬の景色が素晴らしい作品です。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e釉薬実験を積極的に行い、釉薬の偶発性を前面に押し出していた時期の作品である可能性をふまえると、1930年代後半から1940年代頃の作品であると推測されます。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003eToini Muonaのマグは作例が少なく、希少な作品です。底面に『TM』のサイン。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e※目立つダメージなく良い状態です。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\u003c!-- 下段：TOINI MUONA 基本コード --\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top: 48px;\"\u003e\n\u003ch3\u003e\u003cstrong\u003eTOINI MUONA｜トイニ・ムオナ｜1904–1987｜FINLAND\u003c\/strong\u003e\u003c\/h3\u003e\n\u003cp\u003eToini Muona(トイニ・ムオナ)は、フィンランド近代陶芸を代表する女性陶芸家・デザイナーであり、その発展を切り開いたパイオニアのひとり。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e1920年から1923年まで、上級手工芸学校(中央美術工芸学校系の夜間課程)で学んだ後、中央美術工芸学校へ進み、1926年にデザイナーとして卒業しました。卒業時には奨学金を授与されるなど在学中から高く評価され、その後も中央美術工芸学校の陶芸工房を拠点に活動。ベルギー出身の画家・陶芸家で、フィンランド陶芸教育の基礎を築いたAlfred William Finch(アルフレッド・ウィリアム・フィンチ)のもと、ろくろ成形や焼成を実践しながら制作を続けました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e1931年にはArabia(アラビア)で実習を始め、工場での制作工程に触れるなかでその実力を評価され、やがて正式に作家として迎えられました。当時のArabiaでは、作家として活動する陶芸家の位置づけがまだ確立されていないなか、Toini Muonaは中央美術工芸学校で学んだ陶芸家として初の所属作家となり、同校で陶芸を学んだ作家が産業の現場で活動する道を切り開きました。また、彼女の成功は、Arabiaが作家による陶芸制作を本格的に支える重要な契機となり、その後に立ち上がる芸術部門の設立を後押ししました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e早くも1932年には作品のコレクションを完成させ、同年11月に応用美術館で開催された初個展で発表しました。若い陶芸家のデビューが美術館で行われたことは、Toini Muonaの特別な才能が認められていたことを物語るとともに、芸術と産業の結びつきが実現しつつあることを示す、重要な出来事となりました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003eToini Muonaは、1970年にArabiaを退職するまで、粘土、釉薬、焼成といった陶芸の要素に愚直なまでに向き合い、伝統や慣習にとらわれない新しい表現を探究し続けました。卓越したろくろの技術がありながら、装飾や手びねりによる表現も取り入れ、陶芸を造形表現として突き詰めていきました。特に銅を用いた釉薬による深い赤、青、ターコイズの発色は、彼女の作品を強く印象づける要素となりました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e1930年代後半からは、非対称な歪みをもつ量感のあるフォルムや、自然のかたちを思わせる有機的な輪郭を持つ花器へと表現を広げ、1940年代には細く縦に伸びるかたちを追求し、葦や草のような自然の形から着想を得た花器を発表。自身が『草』と呼んだこれらの作品は、Toini Muonaを代表する作品となるとともに大きな反響を呼びました。1950年代には、植物のかたちを陶芸に取り込む試みをさらに発展させ、乾燥させた植物を押し当てたレリーフ状の陶板を発表しました。1960年代からは、よりシンプルで抽象的なフォルムへと向かい、陶芸を彫刻的な造形表現へと昇華させていきました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003eその独自の表現は、1930年代から国際的な評価を得ました。1950年代にフィンランドのモダニズムが国際的な注目を集める以前から、Toini Muonaは国際展への出展と受賞を重ね、活動初期から存在感を示していました。その活動はフィンランド陶芸を世界に示すものであり、Toini Muonaはフィンランド陶芸におけるモダニズムをけん引する存在でもありました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e1933年と1951年のミラノ・トリエンナーレ、1935年のブリュッセル万博、1937年のパリ万博でゴールドメダルを受賞。1954年のミラノ・トリエンナーレで名誉賞、1957年にはプロ・フィンランディアメダルを受けるなど、受賞歴多数。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\u003c!-- 下段：ARABIA ART DEPARTMENT 基本コード --\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top: 48px;\"\u003e\n\u003ch3\u003e\u003cstrong\u003eArabia Art Department｜アラビア芸術部門｜1932–early 1970s｜FINLAND\u003c\/strong\u003e\u003c\/h3\u003e\n\u003cp\u003eArabia Art Department（芸術部門）は、1932年にKurt Ekholm（クルト・エクホルム）により組織化され、翌1933年にEkholmがディレクターに就任することで、部門としての体制が確立されました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e芸術部門は、工場内においてアーティストに自由な制作環境を提供する独立的な場として機能し、工業製品から一定の距離を保ちながら創作活動を行うことを可能にしました。その成果は、素材・釉薬・成形技術に関する実験を通じて工業製品へと還元され、芸術と産業の相互作用を生み出しました。また、Arabiaにおける文化的アイデンティティを体現し、対外的に発信する役割も担いました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003eこのような理念は、中央美術工芸学校において指導的役割を担ったArttu Brummer（アルットゥ・ブルンメル）が重視した手工芸および芸術の価値に基づく思想を背景としており、同校においてElsa Elenius（エルサ・エレニウス）の指導のもと育成された人材によって具現化されました。Ekholmによる芸術部門の制度化は、こうした教育的基盤を産業の現場において再編成したものと位置づけられます。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e芸術部門には、Toini Muona (トイニ・ムオナ)、Aune Siimes (アウネ・シーメス)、Michael Schilkin (ミハエル・シルキン)、Birger Kaipiainen (ビルゲル・カイピアイネン)、Rut Bryk (ルート・ブリュック)、Kyllikki Salmenhaara (キーリッキ・サルメンハーラ)、Oiva Toikka (オイヴァ・トイッカ) らが所属しました。また、Friedl Kjellberg（フリードル・チェルベリ）は1924年よりArabiaに在籍し、芸術部門の組織化以前から活動していた作家の一人であり、部門成立後も重要なメンバーとして位置づけられ、1948年には芸術部門のディレクターに就任しました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e芸術部門の作家たちは、Toini MuonaやKyllikki Salmenhaaraに代表される、轆轤成形や釉薬表現に基づく陶芸と、Birger KaipiainenやRut Brykに代表される、レリーフや陶板を用いた装飾的・物語的表現という二つの系譜を形成しました。両者は対照的でありながら、芸術部門における表現の幅と奥行きを広げる役割を果たしました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e芸術部門の活動は国際展においても高く評価され、1930年代からパリ万博などで継続的に受賞を重ねました。特に1950年代から1960年にかけてのミラノ・トリエンナーレでは、Rut Bryk（1951）、Kyllikki Salmenhaara（1957）、Birger Kaipiainen（1960）がグランプリに輝いたほか、名誉賞においてもBirger Kaipiainen、Michael Schilkin（1951）、Rut Bryk、Toini Muona、Kyllikki Salmenhaara（1954）らが選ばれ、Aune Siimes（1954）は金賞を受賞しています。とりわけKyllikki Salmenhaaraは、1951年から1960年にかけてグランプリを含む4回連続で受賞するなど、芸術部門の国際的地位を支える重要な存在となりました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e1970年代前半には組織再編に伴い、芸術部門はAtelier部門へと名称および機能が移行し、独立した部門としての役割はこの時期に一つの区切りを迎えました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003eその理念は現在にも受け継がれ、Art Department Societyの活動にも引き継がれています。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e","brand":"TOINI MUONA","offers":[{"title":"TURQUOISE \/ TMCR006","offer_id":48594823807216,"sku":null,"price":88000.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/TMCR006_1_cc4a1ad4-f7e9-4b1f-93fa-254eefdf36d0.jpg?v=1783761534"},{"product_id":"bowl","title":"BOWL","description":"\u003cdiv class=\"black-text-01\"\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e1960年のミラノトリエンナーレに同様のデザインの作品を多数出展しています。\u003cbr\u003e\n器に円盤上の蓋する不思議な意匠を取り入れた作品です。\u003cbr\u003e\n1960年前後の作品と推測されます。\u003cbr\u003e\n※目立つダメージなく良い状態です。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\n\u003c!-- 下段：FRANCESCA MASCITTI-LINDH 基本コード --\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003eFRANCESCA MASCITTI-LINDH｜フランセスカ・マスシッチ・リンド｜1931–｜FINLAND\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    Francesca Mascitti-Lindh（フランセスカ・マスシッチ・リンド）は、1931年にイタリア人の父とフィンランド人の母のもとに生まれました。\n1946年からローマのアートスクールで2年間学んだ後にフィンランドへ移住します。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    その後すぐにArabiaでOlga Osol（オルガ・オソル）、Michael Schilkin（ミカエル・シルキン）、Kaj Franck（カイ・フランク）のもとで見習いとして過ごし、1949年から1953年まで美術デザイン学校で陶芸を学びました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    この学校で後に夫となるRichard Lindh（リカルド・リンド）と出会い、卒業後の1953年に二人でヘルシンキに小さなスタジオを設立。主に実用的な陶器の制作を行いました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    いくつかの展示に出展した作品がWärtsiläグループ（Arabiaの親会社）の社長の目に留まり、1955年からArabiaの美術部門で働くこととなり、1989年まで34年間在籍しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    Arabia退職後も自身のアトリエで制作活動を続け、90歳となる2021年に新たに陶芸窯を導入するなど現在も精力的に作品制作を行っています。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    イタリアとフィンランドという二つのデザイン文化にルーツを持ち、様々な技法や素材を駆使した独創的な作品を数多く残しています。彼女の作品の多くはアートピースですが、唯一のプロダクトとしてイタリアのGinoriでテーブルウェアをデザインしています。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\n\u003c!-- 下段：ARABIA 基本コード --\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003eARABIA｜アラビア｜1873 –｜FINLAND\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    Arabiaは1873年、ヘルシンキ郊外のアラビア地区にスウェーデンの陶磁器メーカー\n    Rörstrand（ロールストランド）の子会社として設立され、翌1874年に操業を開始しました。\n    1916年にはRörstrandの資本から離れ、フィンランド企業として独立します。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1929年には全長112メートルにおよぶ当時世界最大級のトンネル窯が導入され、\n    生産の効率化と大量生産体制が確立されました。\n    これによりArabiaはヨーロッパ有数の陶磁器工場へと発展していきます。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1932年にはKurt Ekholm（クルト・エクホルム）がアートディレクターに就任し、\n    Arabiaにおける芸術活動を芸術部門として組織化。\n    作家のための制作環境を整え、プロダクトとアートピースを並行して発展させる体制を築きました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    Arabiaの大きな特徴は、芸術部門、応用芸術部門、プロダクトデザイン部門という\n    三つの分野が相互に関わりながら製品開発を行ってきたことにあります。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    芸術部門にはToini Muona（トイニ・ムオナ）、Friedl Kjellberg（フリードル・チェルベリ）、\n    Michael Schilkin（ミカエル・シルキン）、Birger Kaipiainen（ビルガー・カイピアイネン）、\n    Rut Bryk（ルート・ブリュック）、Kyllikki Salmenhaara（キーリッキ・サルメンハーラ）らが参加。\n    その作品は1930年代から国際的な評価を獲得し、Arabiaの文化的側面を担うとともに、\n    フィンランド陶芸の発展に重要な役割を果たしました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1940年代にはFriedl Kjellbergが蛍手の技法を用いたRice Porcelainを開発。\n    1950年から量産が開始され、1974年まで続くロングセラーとなり、\n    Arabiaを代表する芸術磁器として国際的に高い評価を受けました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    Ekholmは1930年代に北欧で広がった機能主義の流れを背景に、\n    1935年にテーブルウェアARシリーズ（SINIVALKO）を発表し、\n    後の北欧モダンデザインの方向性を示しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1945年にはKaj Franck（カイ・フランク）がデザイナーとして入社し、\n    Kaarina Aho（カーリナ・アホ）やUlla Procopé（ウラ・プロコペ）らとともに\n    プロダクトデザインの刷新を進めました。\n    1953年に発表されたKiltaシリーズは、シンプルな幾何学フォルムと多用途性を特徴とする\n    革新的なモダンデザインのテーブルウェアとして大きな成功を収めました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    Arabiaは1930年代から数多くの受賞歴を誇りますが、特に1950年代の\n    ミラノ・トリエンナーレ（1951・1954・1957）では、\n    芸術部門の作家の作品に加えデザイナーによるプロダクトも数多く受賞し、\n    世界的な評価を確立しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e","brand":"FRANCESCA MASCITTI-LINDH","offers":[{"title":"BROWN \/ FMLC004","offer_id":48594828951792,"sku":null,"price":33000.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/FMLC004_1.jpg?v=1765862498"},{"product_id":"goblet","title":"GOBLET","description":"\u003cdiv class=\"black-text-01\"\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\nこちらは、自身の工房にて制作されたゴブレット。\u003cbr\u003e\n轆轤で制作した二つのカップを底面同士で接合した作品。\u003cbr\u003e\nサインは手書きで『AHO』、不鮮明ですがスタンプで MADE IN FINLAND』。\u003cbr\u003e\n希少なもの。\u003cbr\u003e\n※目立つダメージなく良い状態です。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\u003c!-- 下段：KAARINA AHO 基本コード --\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003eKAARINA AHO｜カーリナ・アホ｜1925–1990｜FINLAND\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    Kaarina Aho（カーリナ・アホ）はフィンランドの女性陶芸家、デザイナー。\n    祖父は国民的作家Juhani Aho（ユハニ・アホ）、祖母は芸術家Venny Soldan-Brofeldt（ヴェニー・ソルダン・ブロフェルト）という\n    文化的に著名な家系に1925年に生まれました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    中央美術工芸学校を卒業後、1946年からKaj Franck（カイ・フランク）の最初のアシスタントとして\n    アラビアのプロダクトデザイン部門に加わり、1949年から1962年までデザイナーとして\n    数多くのプロダクトをデザインしました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1957年のミラノ・トリエンナーレでは、BLモデルのモカカップがゴールドメダルを受賞しています。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    アラビア在籍当初は大量生産品の装飾などの職務に満足できず辞職を申し出ましたが、\n    会社からは受け入れられませんでした。\n    その代わりにアラビアのほぼ全ての部門に出入りできるようになり、\n    様々な技能を習得していきました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    彼女はプロダクトデザイン部門に所属しながら、轆轤で一点物の作品も制作し自身の展示会を開催。\n    1962年にアラビアを離れた後は自身の工房を構え、作家として作品制作を続けました。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e","brand":"KAARINA AHO","offers":[{"title":"WHITE \/ KAHO014","offer_id":48594861621488,"sku":null,"price":33000.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/KAHO014_1.jpg?v=1765864892"},{"product_id":"goblet-1","title":"GOBLET","description":"\u003cdiv class=\"black-text-01\"\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\nこちらは、自身の工房にて制作されたゴブレット。\u003cbr\u003e\n轆轤で制作した二つのカップを底面同士で接合した作品。\u003cbr\u003e\nサインは手書きで『AHO』、不鮮明ですがスタンプで MADE IN FINLAND』。\u003cbr\u003e\n希少なもの。\u003cbr\u003e\n※目立つダメージなく良い状態です。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\u003c!-- 下段：KAARINA AHO 基本コード --\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003eKAARINA AHO｜カーリナ・アホ｜1925–1990｜FINLAND\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    Kaarina Aho（カーリナ・アホ）はフィンランドの女性陶芸家、デザイナー。\n    祖父は国民的作家Juhani Aho（ユハニ・アホ）、祖母は芸術家Venny Soldan-Brofeldt（ヴェニー・ソルダン・ブロフェルト）という\n    文化的に著名な家系に1925年に生まれました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    中央美術工芸学校を卒業後、1946年からKaj Franck（カイ・フランク）の最初のアシスタントとして\n    アラビアのプロダクトデザイン部門に加わり、1949年から1962年までデザイナーとして\n    数多くのプロダクトをデザインしました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1957年のミラノ・トリエンナーレでは、BLモデルのモカカップがゴールドメダルを受賞しています。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    アラビア在籍当初は大量生産品の装飾などの職務に満足できず辞職を申し出ましたが、\n    会社からは受け入れられませんでした。\n    その代わりにアラビアのほぼ全ての部門に出入りできるようになり、\n    様々な技能を習得していきました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    彼女はプロダクトデザイン部門に所属しながら、轆轤で一点物の作品も制作し自身の展示会を開催。\n    1962年にアラビアを離れた後は自身の工房を構え、作家として作品制作を続けました。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e","brand":"KAARINA AHO","offers":[{"title":"WHITE \/ KAHO015","offer_id":48594864210160,"sku":null,"price":33000.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/KAHO015_1.jpg?v=1765865172"},{"product_id":"kaho016","title":"GOBLET","description":"\u003cdiv class=\"black-text-01\"\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\nこちらは、自身の工房にて制作されたゴブレット。\u003cbr\u003e\n轆轤で制作した二つのカップを底面同士で接合した作品。\u003cbr\u003e\nサインは手書きで『AHO』、不鮮明ですがスタンプで MADE IN FINLAND』。\u003cbr\u003e\n希少なもの。\u003cbr\u003e\n※目立つダメージなく良い状態です。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\u003c!-- 下段：KAARINA AHO 基本コード --\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003eKAARINA AHO｜カーリナ・アホ｜1925–1990｜FINLAND\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    Kaarina Aho（カーリナ・アホ）はフィンランドの女性陶芸家、デザイナー。\n    祖父は国民的作家Juhani Aho（ユハニ・アホ）、祖母は芸術家Venny Soldan-Brofeldt（ヴェニー・ソルダン・ブロフェルト）という\n    文化的に著名な家系に1925年に生まれました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    中央美術工芸学校を卒業後、1946年からKaj Franck（カイ・フランク）の最初のアシスタントとして\n    アラビアのプロダクトデザイン部門に加わり、1949年から1962年までデザイナーとして\n    数多くのプロダクトをデザインしました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1957年のミラノ・トリエンナーレでは、BLモデルのモカカップがゴールドメダルを受賞しています。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    アラビア在籍当初は大量生産品の装飾などの職務に満足できず辞職を申し出ましたが、\n    会社からは受け入れられませんでした。\n    その代わりにアラビアのほぼ全ての部門に出入りできるようになり、\n    様々な技能を習得していきました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    彼女はプロダクトデザイン部門に所属しながら、轆轤で一点物の作品も制作し自身の展示会を開催。\n    1962年にアラビアを離れた後は自身の工房を構え、作家として作品制作を続けました。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e","brand":"KAARINA AHO","offers":[{"title":"WHITE \/ KAHO016","offer_id":48594866241776,"sku":null,"price":33000.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/KAHO016_1.jpg?v=1765865272"},{"product_id":"cup","title":"CUP","description":"\u003cdiv class=\"black-text-01\"\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\nこちらは、自身の工房にて轆轤で制作されたカップ。\u003cbr\u003e\n赤土にシャモットを混ぜたような粗い土を用いた作品で、化粧土を掛けた後に透明釉を掛け焼成されています。\u003cbr\u003e\n透明釉は内側と外側上部から7分目あたりまで掛けられています。\u003cbr\u003e\nサインは『AHO MADE IN FINLAND』。希少なもの。\u003cbr\u003e\n※縁に複数の釉剥げがあります。\u003cbr\u003e20点ほどの同様の作品から選んできましたが、全ての作品に釉剥げが見られましたので、この作品の特質であると判断しました。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n  \n\u003c!-- 下段：KAARINA AHO 基本コード --\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003eKAARINA AHO｜カーリナ・アホ｜1925–1990｜FINLAND\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    Kaarina Aho（カーリナ・アホ）はフィンランドの女性陶芸家、デザイナー。\n    祖父は国民的作家Juhani Aho（ユハニ・アホ）、祖母は芸術家Venny Soldan-Brofeldt（ヴェニー・ソルダン・ブロフェルト）という\n    文化的に著名な家系に1925年に生まれました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    中央美術工芸学校を卒業後、1946年からKaj Franck（カイ・フランク）の最初のアシスタントとして\n    アラビアのプロダクトデザイン部門に加わり、1949年から1962年までデザイナーとして\n    数多くのプロダクトをデザインしました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1957年のミラノ・トリエンナーレでは、BLモデルのモカカップがゴールドメダルを受賞しています。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    アラビア在籍当初は大量生産品の装飾などの職務に満足できず辞職を申し出ましたが、\n    会社からは受け入れられませんでした。\n    その代わりにアラビアのほぼ全ての部門に出入りできるようになり、\n    様々な技能を習得していきました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    彼女はプロダクトデザイン部門に所属しながら、轆轤で一点物の作品も制作し自身の展示会を開催。\n    1962年にアラビアを離れた後は自身の工房を構え、作家として作品制作を続けました。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e","brand":"KAARINA AHO","offers":[{"title":"BROWN \/ KAHO017","offer_id":48594867519728,"sku":null,"price":27500.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/KAHO017_1.jpg?v=1765865395"},{"product_id":"paperweight","title":"PAPERWEIGHT","description":"\u003cdiv class=\"black-text-01\"\u003e\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    Oiva Toikka(オイヴァ・トイッカ)によりデザインされた作品。\u003cbr\u003e\n    1964年にデザインされたOT1(FISH)と同様の製造方法となる溶着された二つの鋳造ガラス(片側のみに魚のモチーフ)、表面研磨仕上げのペーパーウェイト。\u003cbr\u003e\n    カットサインは『Nuutajärvi Notsjö』。\u003cbr\u003e\n    カットサインとNuutajärviのステッカーにより1965年から1970年までに製造されたものと推測されます。\u003cbr\u003e\n    希少なもの。\u003cbr\u003e\n    ※目立つダメージ無く良い状態です。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\n\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003e\u003cstrong\u003eOIVA TOIKKA｜オイヴァ・トイッカ｜1931-2019｜FINLAND\u003c\/strong\u003e\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp\u003eOiva Toikka(オイヴァ・トイッカ)は、フィンランドのデザイナー、アーティスト、教育者。ヘルシンキの芸術デザイン学校で、Elsa Elenius(エルサ・エレニウス)に師事し陶芸を学びました。1956年に陶芸課程を修了後、Arabia(アラビア)でデザイナーとしてのキャリアを開始し、半年後には芸術部門へ移籍。1957年には、Arabiaと同じWärtsilä(ヴァルチラ)傘下にあったNuutajärvi(ヌータヤルヴィ)でガラスプロダクトもデザインしました。1958年には、ユーモア溢れる力強い動物モチーフの陶芸作品などを発表した初の個展を開催し、フィンランド陶芸に新しい方向性を示したとして高く評価されました。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e1959年にArabiaを離れた後は、芸術デザイン学校に戻って美術教員養成課程で学び、その後、複数の学校で教鞭をとりながら、Marimekko(マリメッコ)などでデザイン活動を継続。1963年にNuutajärviのガラスデザイナーに迎えられ、1988年にNuutajärviとIittala(イッタラ)が合併した後も、1996年まで所属デザイナーとして活動。その後は芸術コンサルタントとして、2019年まで制作に関わりました。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eプロダクトでは『Kastehelmi』や『Fauna』などを、アートガラスでは『Sieppo』をはじめとする鳥のオブジェ、『Lollipop』、『Pom Pom』など、広く知られる作品を数多く生み出しました。また、展覧会などで発表される一点制作のユニークピースでも、量産品とは異なる芸術的な表現を追求しました。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eOiva Toikkaのガラス作品は、デザインやアイデアだけで完結するものではなく、ガラス職人との共同作業を通じて作品へと形づくられました。工房での対話や試行錯誤を重ねながら、職人それぞれの技術や知識を作品に反映させたことも、Toikkaの仕事を特徴づけています。ユニークピースで試みた技術や色彩などの知見は、アートピースだけでなくプロダクトにも応用され、アートとデザインの境界を横断する作品へとつながりました。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eガラスという素材にユーモアや幻想性のある装飾を取り入れ、機能性や合理性を重んじる北欧デザインの潮流とは異なる立ち位置から、偶然性や手仕事の痕跡を生かした造形を追求しました。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e活動は陶磁器やガラスにとどまらず、ファブリック、グラフィック、展示デザイン、オペラの舞台美術や衣装など、幅広い分野で活躍。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e教育者としても後進の指導に力を注ぎ、ストックホルムのKonstfackやイギリスのUniversity of Sunderlandなど複数の学校で教鞭をとりました。また、Nuutajärviではガラス職人の技術継承にも関わり、1993年に始まったガラス職人養成にも大きく貢献しました。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e主な受賞歴に、1970年にLunning Prize、1980年にPro Finlandia Medal、1992年にKaj Franck Design Prize、2001年にPrince Eugen Medalなど受賞歴多数。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e","brand":"OIVA TOIKKA","offers":[{"title":"CLEAR \/ OIVA047","offer_id":48594876301552,"sku":null,"price":121000.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/OIVA047_1.jpg?v=1765866545"},{"product_id":"fkrc162","title":"RICE PORCELAIN \"OKSA\" COFFEE C\u0026S FK\/65 BOX SET","description":"\u003cdiv class=\"item-description\"\u003e\n  \u003cp\u003eFriedl Holzer-Kjellberg(フリードル・ホルツァー・チェルベリ)によってデザインされたRice Porcelainシリーズ。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eRice Porcelainは、1930年代初頭にウィーンの応用美術館で目にした中国の蛍手磁器に着想を得て、約10年にわたる試行錯誤の末、1942年に最初の作品が発表されました。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e透かし文様は、職人が特殊なナイフを用いて一つひとつ手作業で切り抜きます。その後、800℃で素焼きし、釉薬をかけて1380℃で再び焼成することで、切り抜かれた部分に釉薬の薄い膜が形成されます。これがガラス質となって光を通し、繊細な透かし文様を浮かび上がらせます。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e当初は、小さな作品でも制作に4日を要するユニークピースでしたが、さらなる研究を重ね、1951年から製品シリーズとして生産されるようになりました。専門の部署が設立され、最盛期には約20人が制作に携わるなど、Arabiaを代表するテーブルウェアの一つとして1974年まで製造されました。1951年のミラノ・トリエンナーレに出品。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eフィンランド語で『OKSA』とは、『小枝』の意。カットサインは『ARABIA -F.H.Kj- FINLAND』(カップ)、『ARABIA -F.H.Kj-』(ソーサー)。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eWärtsilä(ヴァルチラ)グループのArabia(アラビア)、Nuutajärvi(ヌータヤルヴィ)、Finel(フィネル)では、1960年代半ば頃から共通のパッケージデザインが採用され、メーカーごとに名称と色を変えて展開されました。こちらはArabiaのパッケージで、メーカー名を反復したパターンが茶で印刷されています。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eオリジナルパッケージ、6客セットとなります。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e※おそらくデッドストック。非常に良い状態です。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\n\n\u003c!-- 下段：FRIEDL KJELLBERG 基本コード --\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003e\u003cstrong\u003eFRIEDL HOLZER-KJELLBERG(フリードル・ホルツァー・チェルベリ)｜1905–1993｜AUSTRIA\u003c\/strong\u003e\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    Friedl Holzer-Kjellberg(フリードル・ホルツァー・チェルベリ)は、オーストリア出身の女性陶芸家。オーストリアの美術工芸学校で陶芸を学び、卒業後の1924年からArabia(アラビア)で陶芸家としてのキャリアをスタートさせました。1932年にKurt Ekholm(クルト・エクホルム)により組織化され、翌1933年にEkholmがディレクターに就任することで、部門としての体制が確立されたArabiaの芸術部門の初期からのメンバーで、1948年から1950年まではディレクターも務めました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    46年間所属したArabiaでは、主に芸術部門のアーティストとして作品制作を行う傍ら、代表作として広く知られるRice Porcelainの制作と発展にも取り組みました。Rice Porcelainは独立した部門が設けられるほど大きな成功を収め、1930年代から試作が重ねられたのち、1942年に最初の作品が発表されました。その後、量産化の技術が確立され、1950年から1974年まで製造されるArabiaを象徴する芸術磁器として国際的に高く評価されました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    芸術部門での作品は、中国陶磁、とりわけ宋代の陶磁に着想を得た端正でシンプルな造形と、セラドン(青磁釉)、オックスブラッド(辰砂釉)、ピーコックブルーなどによる気品ある釉薬表現を特徴としています。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    1935年のブリュッセル万博でゴールドメダル、1937年のパリ万博でシルバーメダルを受賞したほか、ミラノ・トリエンナーレでも1933年にシルバーメダル、1954年にゴールドメダルを受賞。さらに、1962年には芸術的功績によりプロ・フィンランディアメダルを授与されました。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\u003c!-- 下段：ARABIA 基本コード --\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top: 48px;\"\u003e\n\u003ch3\u003eARABIA｜アラビア｜1873 –｜FINLAND\u003c\/h3\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003eArabiaは1873年、ヘルシンキ郊外のアラビア地区にスウェーデンの陶磁器メーカー Rörstrand（ロールストランド）の子会社として設立され、翌1874年に操業を開始しました。 1916年にはRörstrandの資本から離れ、フィンランド企業として独立します。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e1929年には全長112メートルにおよぶ当時世界最大級のトンネル窯が導入され、 生産の効率化と大量生産体制が確立されました。 これによりArabiaはヨーロッパ有数の陶磁器工場へと発展していきます。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e1932年にはKurt Ekholm（クルト・エクホルム）がアートディレクターに就任し、 Arabiaにおける芸術活動を芸術部門として組織化。 作家のための制作環境を整え、プロダクトとアートピースを並行して発展させる体制を築きました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003eArabiaの大きな特徴は、芸術部門、応用芸術部門、プロダクトデザイン部門という 三つの分野が相互に関わりながら製品開発を行ってきたことにあります。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e芸術部門にはToini Muona（トイニ・ムオナ）、Friedl Kjellberg（フリードル・チェルベリ）、 Michael Schilkin（ミカエル・シルキン）、Birger Kaipiainen（ビルガー・カイピアイネン）、 Rut Bryk（ルート・ブリュック）、Kyllikki Salmenhaara（キーリッキ・サルメンハーラ）らが参加。 その作品は1930年代から国際的な評価を獲得し、Arabiaの文化的側面を担うとともに、 フィンランド陶芸の発展に重要な役割を果たしました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e1940年代にはFriedl Kjellbergが蛍手の技法を用いたRice Porcelainを開発。 1950年から量産が開始され、1974年まで続くロングセラーとなり、 Arabiaを代表する芸術磁器として国際的に高い評価を受けました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003eEkholmは1930年代に北欧で広がった機能主義の流れを背景に、 1935年にテーブルウェアARシリーズ（SINIVALKO）を発表し、 後の北欧モダンデザインの方向性を示しました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e1945年にはKaj Franck（カイ・フランク）がデザイナーとして入社し、 Kaarina Aho（カーリナ・アホ）やUlla Procopé（ウラ・プロコペ）らとともに プロダクトデザインの刷新を進めました。 1953年に発表されたKiltaシリーズは、シンプルな幾何学フォルムと多用途性を特徴とする 革新的なモダンデザインのテーブルウェアとして大きな成功を収めました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003eArabiaは1930年代から数多くの受賞歴を誇りますが、特に1950年代の ミラノ・トリエンナーレ（1951・1954・1957）では、 芸術部門の作家の作品に加えデザイナーによるプロダクトも数多く受賞し、 世界的な評価を確立しました。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e","brand":"FRIEDL KJELLBERG","offers":[{"title":"WHITE \/ FKRC162","offer_id":48595134218480,"sku":null,"price":66000.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/FKRC162_1.jpg?v=1765878813"},{"product_id":"rice-porcelain-viiru-mug-fk-7","title":"RICE PORCELAIN \"VIIRU\" MUG FK\/7","description":"\u003cdiv class=\"black-text-01\"\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003eRice Porcelainは、1930年代初めにウィーンの応用美術館で鑑賞した中国の蛍手磁器にインスピレーションを受け、10年の歳月をかけて完成させました。\u003cbr\u003e透かし文様は職人の手により一つひとつ特殊なナイフでカットされ、その後に800°で素焼き、釉薬をかけ1380°で再び焼成することによりカットされた部分はガラス質となり光を通して透かしの文様が浮かび上がります。\u003cbr\u003e当初は、小さな作品でも4日がかりで制作されるユニークピースでしたが、更なる研究の末に製品シリーズとして1950年から製造されるようになりました。\u003cbr\u003e1951年のミラノトリエンナーレに出品。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003eフィンランド語で『VIIRU』とは、『糸』の意。\u003cbr\u003eカットサインは『ARABIA -F.H.Kj- FINLAND』\u003cbr\u003e\n※目立つダメージなく非常に良い状態です。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\u003c!-- 下段：FRIEDL KJELLBERG 基本コード --\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003e\u003cstrong\u003eFRIEDL HOLZER-KJELLBERG(フリードル・ホルツァー・チェルベリ)｜1905–1993｜AUSTRIA\u003c\/strong\u003e\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    Friedl Holzer-Kjellberg(フリードル・ホルツァー・チェルベリ)は、オーストリア出身の女性陶芸家。オーストリアの美術工芸学校で陶芸を学び、卒業後の1924年からArabia(アラビア)で陶芸家としてのキャリアをスタートさせました。1932年にKurt Ekholm(クルト・エクホルム)により組織化され、翌1933年にEkholmがディレクターに就任することで、部門としての体制が確立されたArabiaの芸術部門の初期からのメンバーで、1948年から1950年まではディレクターも務めました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    46年間所属したArabiaでは、主に芸術部門のアーティストとして作品制作を行う傍ら、代表作として広く知られるRice Porcelainの制作と発展にも取り組みました。Rice Porcelainは独立した部門が設けられるほど大きな成功を収め、1930年代から試作が重ねられたのち、1942年に最初の作品が発表されました。その後、量産化の技術が確立され、1950年から1974年まで製造されるArabiaを象徴する芸術磁器として国際的に高く評価されました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    芸術部門での作品は、中国陶磁、とりわけ宋代の陶磁に着想を得た端正でシンプルな造形と、セラドン(青磁釉)、オックスブラッド(辰砂釉)、ピーコックブルーなどによる気品ある釉薬表現を特徴としています。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    1935年のブリュッセル万博でゴールドメダル、1937年のパリ万博でシルバーメダルを受賞したほか、ミラノ・トリエンナーレでも1933年にシルバーメダル、1954年にゴールドメダルを受賞。さらに、1962年には芸術的功績によりプロ・フィンランディアメダルを授与されました。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\u003c!-- 下段：ARABIA 基本コード --\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top: 48px;\"\u003e\n\u003ch3\u003eARABIA｜アラビア｜1873 –｜FINLAND\u003c\/h3\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003eArabiaは1873年、ヘルシンキ郊外のアラビア地区にスウェーデンの陶磁器メーカー Rörstrand（ロールストランド）の子会社として設立され、翌1874年に操業を開始しました。 1916年にはRörstrandの資本から離れ、フィンランド企業として独立します。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e1929年には全長112メートルにおよぶ当時世界最大級のトンネル窯が導入され、 生産の効率化と大量生産体制が確立されました。 これによりArabiaはヨーロッパ有数の陶磁器工場へと発展していきます。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e1932年にはKurt Ekholm（クルト・エクホルム）がアートディレクターに就任し、 Arabiaにおける芸術活動を芸術部門として組織化。 作家のための制作環境を整え、プロダクトとアートピースを並行して発展させる体制を築きました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003eArabiaの大きな特徴は、芸術部門、応用芸術部門、プロダクトデザイン部門という 三つの分野が相互に関わりながら製品開発を行ってきたことにあります。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e芸術部門にはToini Muona（トイニ・ムオナ）、Friedl Kjellberg（フリードル・チェルベリ）、 Michael Schilkin（ミカエル・シルキン）、Birger Kaipiainen（ビルガー・カイピアイネン）、 Rut Bryk（ルート・ブリュック）、Kyllikki Salmenhaara（キーリッキ・サルメンハーラ）らが参加。 その作品は1930年代から国際的な評価を獲得し、Arabiaの文化的側面を担うとともに、 フィンランド陶芸の発展に重要な役割を果たしました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e1940年代にはFriedl Kjellbergが蛍手の技法を用いたRice Porcelainを開発。 1950年から量産が開始され、1974年まで続くロングセラーとなり、 Arabiaを代表する芸術磁器として国際的に高い評価を受けました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003eEkholmは1930年代に北欧で広がった機能主義の流れを背景に、 1935年にテーブルウェアARシリーズ（SINIVALKO）を発表し、 後の北欧モダンデザインの方向性を示しました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e1945年にはKaj Franck（カイ・フランク）がデザイナーとして入社し、 Kaarina Aho（カーリナ・アホ）やUlla Procopé（ウラ・プロコペ）らとともに プロダクトデザインの刷新を進めました。 1953年に発表されたKiltaシリーズは、シンプルな幾何学フォルムと多用途性を特徴とする 革新的なモダンデザインのテーブルウェアとして大きな成功を収めました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003eArabiaは1930年代から数多くの受賞歴を誇りますが、特に1950年代の ミラノ・トリエンナーレ（1951・1954・1957）では、 芸術部門の作家の作品に加えデザイナーによるプロダクトも数多く受賞し、 世界的な評価を確立しました。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e","brand":"FRIEDL KJELLBERG","offers":[{"title":"WHITE \/ FKRC187","offer_id":48595159679216,"sku":null,"price":15400.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/FKRC187_1.jpg?v=1765879851"},{"product_id":"rice-porcelain-bowl-fk-1","title":"RICE PORCELAIN BOWL FK\/1","description":"\u003cdiv class=\"black-text-01\"\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003eRice Porcelainは、1930年代初めにウィーンの応用美術館で鑑賞した中国の蛍手磁器にインスピレーションを受け、10年の歳月をかけて完成させました。\u003cbr\u003e透かし文様は職人の手により一つひとつ特殊なナイフでカットされ、その後に800°で素焼き、釉薬をかけ1380°で再び焼成することによりカットされた部分はガラス質となり光を通して透かしの文様が浮かび上がります。\u003cbr\u003e当初は、小さな作品でも4日がかりで制作されるユニークピースでしたが、更なる研究の末に製品シリーズとして1950年から製造されるようになりました。\u003cbr\u003e1951年のミラノトリエンナーレに出品。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003eこちらは、珍しいパターンのもの。\u003cbr\u003eカットサインは『ARABIA -F.H.Kj- MADE IN FINLAND』\u003cbr\u003e\n※目立つダメージなく非常に良い状態です。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\u003c!-- 下段：FRIEDL KJELLBERG 基本コード --\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003e\u003cstrong\u003eFRIEDL HOLZER-KJELLBERG(フリードル・ホルツァー・チェルベリ)｜1905–1993｜AUSTRIA\u003c\/strong\u003e\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    Friedl Holzer-Kjellberg(フリードル・ホルツァー・チェルベリ)は、オーストリア出身の女性陶芸家。オーストリアの美術工芸学校で陶芸を学び、卒業後の1924年からArabia(アラビア)で陶芸家としてのキャリアをスタートさせました。1932年にKurt Ekholm(クルト・エクホルム)により組織化され、翌1933年にEkholmがディレクターに就任することで、部門としての体制が確立されたArabiaの芸術部門の初期からのメンバーで、1948年から1950年まではディレクターも務めました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    46年間所属したArabiaでは、主に芸術部門のアーティストとして作品制作を行う傍ら、代表作として広く知られるRice Porcelainの制作と発展にも取り組みました。Rice Porcelainは独立した部門が設けられるほど大きな成功を収め、1930年代から試作が重ねられたのち、1942年に最初の作品が発表されました。その後、量産化の技術が確立され、1950年から1974年まで製造されるArabiaを象徴する芸術磁器として国際的に高く評価されました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    芸術部門での作品は、中国陶磁、とりわけ宋代の陶磁に着想を得た端正でシンプルな造形と、セラドン(青磁釉)、オックスブラッド(辰砂釉)、ピーコックブルーなどによる気品ある釉薬表現を特徴としています。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    1935年のブリュッセル万博でゴールドメダル、1937年のパリ万博でシルバーメダルを受賞したほか、ミラノ・トリエンナーレでも1933年にシルバーメダル、1954年にゴールドメダルを受賞。さらに、1962年には芸術的功績によりプロ・フィンランディアメダルを授与されました。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\u003c!-- 下段：ARABIA 基本コード --\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top: 48px;\"\u003e\n\u003ch3\u003eARABIA｜アラビア｜1873 –｜FINLAND\u003c\/h3\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003eArabiaは1873年、ヘルシンキ郊外のアラビア地区にスウェーデンの陶磁器メーカー Rörstrand（ロールストランド）の子会社として設立され、翌1874年に操業を開始しました。 1916年にはRörstrandの資本から離れ、フィンランド企業として独立します。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e1929年には全長112メートルにおよぶ当時世界最大級のトンネル窯が導入され、 生産の効率化と大量生産体制が確立されました。 これによりArabiaはヨーロッパ有数の陶磁器工場へと発展していきます。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e1932年にはKurt Ekholm（クルト・エクホルム）がアートディレクターに就任し、 Arabiaにおける芸術活動を芸術部門として組織化。 作家のための制作環境を整え、プロダクトとアートピースを並行して発展させる体制を築きました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003eArabiaの大きな特徴は、芸術部門、応用芸術部門、プロダクトデザイン部門という 三つの分野が相互に関わりながら製品開発を行ってきたことにあります。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e芸術部門にはToini Muona（トイニ・ムオナ）、Friedl Kjellberg（フリードル・チェルベリ）、 Michael Schilkin（ミカエル・シルキン）、Birger Kaipiainen（ビルガー・カイピアイネン）、 Rut Bryk（ルート・ブリュック）、Kyllikki Salmenhaara（キーリッキ・サルメンハーラ）らが参加。 その作品は1930年代から国際的な評価を獲得し、Arabiaの文化的側面を担うとともに、 フィンランド陶芸の発展に重要な役割を果たしました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e1940年代にはFriedl Kjellbergが蛍手の技法を用いたRice Porcelainを開発。 1950年から量産が開始され、1974年まで続くロングセラーとなり、 Arabiaを代表する芸術磁器として国際的に高い評価を受けました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003eEkholmは1930年代に北欧で広がった機能主義の流れを背景に、 1935年にテーブルウェアARシリーズ（SINIVALKO）を発表し、 後の北欧モダンデザインの方向性を示しました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e1945年にはKaj Franck（カイ・フランク）がデザイナーとして入社し、 Kaarina Aho（カーリナ・アホ）やUlla Procopé（ウラ・プロコペ）らとともに プロダクトデザインの刷新を進めました。 1953年に発表されたKiltaシリーズは、シンプルな幾何学フォルムと多用途性を特徴とする 革新的なモダンデザインのテーブルウェアとして大きな成功を収めました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003eArabiaは1930年代から数多くの受賞歴を誇りますが、特に1950年代の ミラノ・トリエンナーレ（1951・1954・1957）では、 芸術部門の作家の作品に加えデザイナーによるプロダクトも数多く受賞し、 世界的な評価を確立しました。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e","brand":"FRIEDL KJELLBERG","offers":[{"title":"WHITE \/ FKRC188","offer_id":48595162333424,"sku":null,"price":22000.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/FKRC188_1.jpg?v=1765880046"},{"product_id":"rice-porcelain-oksa-bowl-fk-1","title":"RICE PORCELAIN \"OKSA\" BOWL FK\/1","description":"\u003cdiv class=\"black-text-01\"\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003eRice Porcelainは、1930年代初めにウィーンの応用美術館で鑑賞した中国の蛍手磁器にインスピレーションを受け、10年の歳月をかけて完成させました。\u003cbr\u003e透かし文様は職人の手により一つひとつ特殊なナイフでカットされ、その後に800°で素焼き、釉薬をかけ1380°で再び焼成することによりカットされた部分はガラス質となり光を通して透かしの文様が浮かび上がります。\u003cbr\u003e当初は、小さな作品でも4日がかりで制作されるユニークピースでしたが、更なる研究の末に製品シリーズとして1950年から製造されるようになりました。\u003cbr\u003e1951年のミラノトリエンナーレに出品。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003eフィンランド語で『OKSA』とは、『小枝』の意。\u003cbr\u003e\nカットサインは『ARABIA -F.H.Kj- MADE IN FINLAND』\u003cbr\u003e\n※目立つダメージなく非常に良い状態です。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\u003c!-- 下段：FRIEDL KJELLBERG 基本コード --\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003e\u003cstrong\u003eFRIEDL HOLZER-KJELLBERG(フリードル・ホルツァー・チェルベリ)｜1905–1993｜AUSTRIA\u003c\/strong\u003e\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    Friedl Holzer-Kjellberg(フリードル・ホルツァー・チェルベリ)は、オーストリア出身の女性陶芸家。オーストリアの美術工芸学校で陶芸を学び、卒業後の1924年からArabia(アラビア)で陶芸家としてのキャリアをスタートさせました。1932年にKurt Ekholm(クルト・エクホルム)により組織化され、翌1933年にEkholmがディレクターに就任することで、部門としての体制が確立されたArabiaの芸術部門の初期からのメンバーで、1948年から1950年まではディレクターも務めました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    46年間所属したArabiaでは、主に芸術部門のアーティストとして作品制作を行う傍ら、代表作として広く知られるRice Porcelainの制作と発展にも取り組みました。Rice Porcelainは独立した部門が設けられるほど大きな成功を収め、1930年代から試作が重ねられたのち、1942年に最初の作品が発表されました。その後、量産化の技術が確立され、1950年から1974年まで製造されるArabiaを象徴する芸術磁器として国際的に高く評価されました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    芸術部門での作品は、中国陶磁、とりわけ宋代の陶磁に着想を得た端正でシンプルな造形と、セラドン(青磁釉)、オックスブラッド(辰砂釉)、ピーコックブルーなどによる気品ある釉薬表現を特徴としています。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    1935年のブリュッセル万博でゴールドメダル、1937年のパリ万博でシルバーメダルを受賞したほか、ミラノ・トリエンナーレでも1933年にシルバーメダル、1954年にゴールドメダルを受賞。さらに、1962年には芸術的功績によりプロ・フィンランディアメダルを授与されました。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\u003c!-- 下段：ARABIA 基本コード --\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top: 48px;\"\u003e\n\u003ch3\u003eARABIA｜アラビア｜1873 –｜FINLAND\u003c\/h3\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003eArabiaは1873年、ヘルシンキ郊外のアラビア地区にスウェーデンの陶磁器メーカー Rörstrand（ロールストランド）の子会社として設立され、翌1874年に操業を開始しました。 1916年にはRörstrandの資本から離れ、フィンランド企業として独立します。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e1929年には全長112メートルにおよぶ当時世界最大級のトンネル窯が導入され、 生産の効率化と大量生産体制が確立されました。 これによりArabiaはヨーロッパ有数の陶磁器工場へと発展していきます。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e1932年にはKurt Ekholm（クルト・エクホルム）がアートディレクターに就任し、 Arabiaにおける芸術活動を芸術部門として組織化。 作家のための制作環境を整え、プロダクトとアートピースを並行して発展させる体制を築きました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003eArabiaの大きな特徴は、芸術部門、応用芸術部門、プロダクトデザイン部門という 三つの分野が相互に関わりながら製品開発を行ってきたことにあります。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e芸術部門にはToini Muona（トイニ・ムオナ）、Friedl Kjellberg（フリードル・チェルベリ）、 Michael Schilkin（ミカエル・シルキン）、Birger Kaipiainen（ビルガー・カイピアイネン）、 Rut Bryk（ルート・ブリュック）、Kyllikki Salmenhaara（キーリッキ・サルメンハーラ）らが参加。 その作品は1930年代から国際的な評価を獲得し、Arabiaの文化的側面を担うとともに、 フィンランド陶芸の発展に重要な役割を果たしました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e1940年代にはFriedl Kjellbergが蛍手の技法を用いたRice Porcelainを開発。 1950年から量産が開始され、1974年まで続くロングセラーとなり、 Arabiaを代表する芸術磁器として国際的に高い評価を受けました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003eEkholmは1930年代に北欧で広がった機能主義の流れを背景に、 1935年にテーブルウェアARシリーズ（SINIVALKO）を発表し、 後の北欧モダンデザインの方向性を示しました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e1945年にはKaj Franck（カイ・フランク）がデザイナーとして入社し、 Kaarina Aho（カーリナ・アホ）やUlla Procopé（ウラ・プロコペ）らとともに プロダクトデザインの刷新を進めました。 1953年に発表されたKiltaシリーズは、シンプルな幾何学フォルムと多用途性を特徴とする 革新的なモダンデザインのテーブルウェアとして大きな成功を収めました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003eArabiaは1930年代から数多くの受賞歴を誇りますが、特に1950年代の ミラノ・トリエンナーレ（1951・1954・1957）では、 芸術部門の作家の作品に加えデザイナーによるプロダクトも数多く受賞し、 世界的な評価を確立しました。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e","brand":"FRIEDL KJELLBERG","offers":[{"title":"WHITE \/ FKRC189","offer_id":48595163775216,"sku":null,"price":19800.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/FKRC189_1.jpg?v=1765880238"},{"product_id":"rice-porcelain-lehti-bowl-fk-1","title":"RICE PORCELAIN \"LEHTI\" BOWL 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Holzer-Kjellberg(フリードル・ホルツァー・チェルベリ)は、オーストリア出身の女性陶芸家。オーストリアの美術工芸学校で陶芸を学び、卒業後の1924年からArabia(アラビア)で陶芸家としてのキャリアをスタートさせました。1932年にKurt Ekholm(クルト・エクホルム)により組織化され、翌1933年にEkholmがディレクターに就任することで、部門としての体制が確立されたArabiaの芸術部門の初期からのメンバーで、1948年から1950年まではディレクターも務めました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    46年間所属したArabiaでは、主に芸術部門のアーティストとして作品制作を行う傍ら、代表作として広く知られるRice Porcelainの制作と発展にも取り組みました。Rice Porcelainは独立した部門が設けられるほど大きな成功を収め、1930年代から試作が重ねられたのち、1942年に最初の作品が発表されました。その後、量産化の技術が確立され、1950年から1974年まで製造されるArabiaを象徴する芸術磁器として国際的に高く評価されました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    芸術部門での作品は、中国陶磁、とりわけ宋代の陶磁に着想を得た端正でシンプルな造形と、セラドン(青磁釉)、オックスブラッド(辰砂釉)、ピーコックブルーなどによる気品ある釉薬表現を特徴としています。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    1935年のブリュッセル万博でゴールドメダル、1937年のパリ万博でシルバーメダルを受賞したほか、ミラノ・トリエンナーレでも1933年にシルバーメダル、1954年にゴールドメダルを受賞。さらに、1962年には芸術的功績によりプロ・フィンランディアメダルを授与されました。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\u003c!-- 下段：ARABIA 基本コード --\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top: 48px;\"\u003e\n\u003ch3\u003eARABIA｜アラビア｜1873 –｜FINLAND\u003c\/h3\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003eArabiaは1873年、ヘルシンキ郊外のアラビア地区にスウェーデンの陶磁器メーカー Rörstrand（ロールストランド）の子会社として設立され、翌1874年に操業を開始しました。 1916年にはRörstrandの資本から離れ、フィンランド企業として独立します。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e1929年には全長112メートルにおよぶ当時世界最大級のトンネル窯が導入され、 生産の効率化と大量生産体制が確立されました。 これによりArabiaはヨーロッパ有数の陶磁器工場へと発展していきます。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e1932年にはKurt Ekholm（クルト・エクホルム）がアートディレクターに就任し、 Arabiaにおける芸術活動を芸術部門として組織化。 作家のための制作環境を整え、プロダクトとアートピースを並行して発展させる体制を築きました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003eArabiaの大きな特徴は、芸術部門、応用芸術部門、プロダクトデザイン部門という 三つの分野が相互に関わりながら製品開発を行ってきたことにあります。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e芸術部門にはToini Muona（トイニ・ムオナ）、Friedl Kjellberg（フリードル・チェルベリ）、 Michael Schilkin（ミカエル・シルキン）、Birger Kaipiainen（ビルガー・カイピアイネン）、 Rut Bryk（ルート・ブリュック）、Kyllikki Salmenhaara（キーリッキ・サルメンハーラ）らが参加。 その作品は1930年代から国際的な評価を獲得し、Arabiaの文化的側面を担うとともに、 フィンランド陶芸の発展に重要な役割を果たしました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e1940年代にはFriedl Kjellbergが蛍手の技法を用いたRice Porcelainを開発。 1950年から量産が開始され、1974年まで続くロングセラーとなり、 Arabiaを代表する芸術磁器として国際的に高い評価を受けました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003eEkholmは1930年代に北欧で広がった機能主義の流れを背景に、 1935年にテーブルウェアARシリーズ（SINIVALKO）を発表し、 後の北欧モダンデザインの方向性を示しました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e1945年にはKaj Franck（カイ・フランク）がデザイナーとして入社し、 Kaarina Aho（カーリナ・アホ）やUlla Procopé（ウラ・プロコペ）らとともに プロダクトデザインの刷新を進めました。 1953年に発表されたKiltaシリーズは、シンプルな幾何学フォルムと多用途性を特徴とする 革新的なモダンデザインのテーブルウェアとして大きな成功を収めました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003eArabiaは1930年代から数多くの受賞歴を誇りますが、特に1950年代の ミラノ・トリエンナーレ（1951・1954・1957）では、 芸術部門の作家の作品に加えデザイナーによるプロダクトも数多く受賞し、 世界的な評価を確立しました。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e","brand":"FRIEDL KJELLBERG","offers":[{"title":"WHITE \/ FKRC190","offer_id":48595165937904,"sku":null,"price":19800.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/FKRC190_1.jpg?v=1765880365"},{"product_id":"rice-porcelain-oksa-bowl-fk-68-with-black-foot-ring","title":"RICE PORCELAIN \"OKSA\" BOWL FK\/68 with BLACK FOOT RING","description":"\u003cdiv class=\"black-text-01\"\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003eRice Porcelainは、1930年代初めにウィーンの応用美術館で鑑賞した中国の蛍手磁器にインスピレーションを受け、10年の歳月をかけて完成させました。\u003cbr\u003e透かし文様は職人の手により一つひとつ特殊なナイフでカットされ、その後に800°で素焼き、釉薬をかけ1380°で再び焼成することによりカットされた部分はガラス質となり光を通して透かしの文様が浮かび上がります。\u003cbr\u003e当初は、小さな作品でも4日がかりで制作されるユニークピースでしたが、更なる研究の末に製品シリーズとして1950年から製造されるようになりました。\u003cbr\u003e1951年のミラノトリエンナーレに出品。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003eこちらは、マットな黒茶釉の高台がついた希少なもの。\u003cbr\u003eフィンランド語で『OKSA』とは、『小枝』の意。\u003cbr\u003e\nカットサインは『ARABIA -F.H.Kj- FINLAND』\u003cbr\u003e\n※目立つダメージなく非常に良い状態です。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\u003c!-- 下段：FRIEDL KJELLBERG 基本コード --\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003e\u003cstrong\u003eFRIEDL HOLZER-KJELLBERG(フリードル・ホルツァー・チェルベリ)｜1905–1993｜AUSTRIA\u003c\/strong\u003e\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    Friedl Holzer-Kjellberg(フリードル・ホルツァー・チェルベリ)は、オーストリア出身の女性陶芸家。オーストリアの美術工芸学校で陶芸を学び、卒業後の1924年からArabia(アラビア)で陶芸家としてのキャリアをスタートさせました。1932年にKurt Ekholm(クルト・エクホルム)により組織化され、翌1933年にEkholmがディレクターに就任することで、部門としての体制が確立されたArabiaの芸術部門の初期からのメンバーで、1948年から1950年まではディレクターも務めました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    46年間所属したArabiaでは、主に芸術部門のアーティストとして作品制作を行う傍ら、代表作として広く知られるRice Porcelainの制作と発展にも取り組みました。Rice Porcelainは独立した部門が設けられるほど大きな成功を収め、1930年代から試作が重ねられたのち、1942年に最初の作品が発表されました。その後、量産化の技術が確立され、1950年から1974年まで製造されるArabiaを象徴する芸術磁器として国際的に高く評価されました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    芸術部門での作品は、中国陶磁、とりわけ宋代の陶磁に着想を得た端正でシンプルな造形と、セラドン(青磁釉)、オックスブラッド(辰砂釉)、ピーコックブルーなどによる気品ある釉薬表現を特徴としています。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    1935年のブリュッセル万博でゴールドメダル、1937年のパリ万博でシルバーメダルを受賞したほか、ミラノ・トリエンナーレでも1933年にシルバーメダル、1954年にゴールドメダルを受賞。さらに、1962年には芸術的功績によりプロ・フィンランディアメダルを授与されました。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\u003c!-- 下段：ARABIA 基本コード --\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top: 48px;\"\u003e\n\u003ch3\u003eARABIA｜アラビア｜1873 –｜FINLAND\u003c\/h3\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003eArabiaは1873年、ヘルシンキ郊外のアラビア地区にスウェーデンの陶磁器メーカー Rörstrand（ロールストランド）の子会社として設立され、翌1874年に操業を開始しました。 1916年にはRörstrandの資本から離れ、フィンランド企業として独立します。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e1929年には全長112メートルにおよぶ当時世界最大級のトンネル窯が導入され、 生産の効率化と大量生産体制が確立されました。 これによりArabiaはヨーロッパ有数の陶磁器工場へと発展していきます。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e1932年にはKurt Ekholm（クルト・エクホルム）がアートディレクターに就任し、 Arabiaにおける芸術活動を芸術部門として組織化。 作家のための制作環境を整え、プロダクトとアートピースを並行して発展させる体制を築きました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003eArabiaの大きな特徴は、芸術部門、応用芸術部門、プロダクトデザイン部門という 三つの分野が相互に関わりながら製品開発を行ってきたことにあります。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e芸術部門にはToini Muona（トイニ・ムオナ）、Friedl Kjellberg（フリードル・チェルベリ）、 Michael Schilkin（ミカエル・シルキン）、Birger Kaipiainen（ビルガー・カイピアイネン）、 Rut Bryk（ルート・ブリュック）、Kyllikki Salmenhaara（キーリッキ・サルメンハーラ）らが参加。 その作品は1930年代から国際的な評価を獲得し、Arabiaの文化的側面を担うとともに、 フィンランド陶芸の発展に重要な役割を果たしました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e1940年代にはFriedl Kjellbergが蛍手の技法を用いたRice Porcelainを開発。 1950年から量産が開始され、1974年まで続くロングセラーとなり、 Arabiaを代表する芸術磁器として国際的に高い評価を受けました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003eEkholmは1930年代に北欧で広がった機能主義の流れを背景に、 1935年にテーブルウェアARシリーズ（SINIVALKO）を発表し、 後の北欧モダンデザインの方向性を示しました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e1945年にはKaj Franck（カイ・フランク）がデザイナーとして入社し、 Kaarina Aho（カーリナ・アホ）やUlla Procopé（ウラ・プロコペ）らとともに プロダクトデザインの刷新を進めました。 1953年に発表されたKiltaシリーズは、シンプルな幾何学フォルムと多用途性を特徴とする 革新的なモダンデザインのテーブルウェアとして大きな成功を収めました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003eArabiaは1930年代から数多くの受賞歴を誇りますが、特に1950年代の ミラノ・トリエンナーレ（1951・1954・1957）では、 芸術部門の作家の作品に加えデザイナーによるプロダクトも数多く受賞し、 世界的な評価を確立しました。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e","brand":"FRIEDL KJELLBERG","offers":[{"title":"WHITE \/ FKRC191","offer_id":48595168067824,"sku":null,"price":19800.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/FKRC191_1.jpg?v=1765880820"},{"product_id":"rice-porcelain-rivi-mocca-cup-fk","title":"RICE PORCELAIN \"RIVI\" MOCCA CUP FK","description":"\u003cdiv class=\"black-text-01\"\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003eRice Porcelainは、1930年代初めにウィーンの応用美術館で鑑賞した中国の蛍手磁器にインスピレーションを受け、10年の歳月をかけて完成させました。\u003cbr\u003e\n透かし文様は職人の手により一つひとつ特殊なナイフでカットされ、その後に800°で素焼き、釉薬をかけ1380°で再び焼成することによりカットされた部分はガラス質となり光を通して透かしの文様が浮かび上がります。\u003cbr\u003e\n当初は、小さな作品でも4日がかりで制作されるユニークピースでしたが、更なる研究の末に製品シリーズとして1950年から製造されるようになりました。\u003cbr\u003e\n1951年のミラノトリエンナーレに出品。\u003c\/p\u003e\n\n\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003eこちらは、80mlのモカカップの取手がない珍しいもの。\u003cbr\u003e\nカットサインは『ARABIA -F.H.Kj- MADE IN FINLAND』\u003cbr\u003e\nフィンランド語で『RIVI』とは、『ライン』の意。\u003cbr\u003e\n※目立つダメージなく非常に良い状態です。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\n\u003c!-- 下段：FRIEDL KJELLBERG 基本コード --\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003e\u003cstrong\u003eFRIEDL HOLZER-KJELLBERG(フリードル・ホルツァー・チェルベリ)｜1905–1993｜AUSTRIA\u003c\/strong\u003e\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    Friedl Holzer-Kjellberg(フリードル・ホルツァー・チェルベリ)は、オーストリア出身の女性陶芸家。オーストリアの美術工芸学校で陶芸を学び、卒業後の1924年からArabia(アラビア)で陶芸家としてのキャリアをスタートさせました。1932年にKurt Ekholm(クルト・エクホルム)により組織化され、翌1933年にEkholmがディレクターに就任することで、部門としての体制が確立されたArabiaの芸術部門の初期からのメンバーで、1948年から1950年まではディレクターも務めました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    46年間所属したArabiaでは、主に芸術部門のアーティストとして作品制作を行う傍ら、代表作として広く知られるRice Porcelainの制作と発展にも取り組みました。Rice Porcelainは独立した部門が設けられるほど大きな成功を収め、1930年代から試作が重ねられたのち、1942年に最初の作品が発表されました。その後、量産化の技術が確立され、1950年から1974年まで製造されるArabiaを象徴する芸術磁器として国際的に高く評価されました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    芸術部門での作品は、中国陶磁、とりわけ宋代の陶磁に着想を得た端正でシンプルな造形と、セラドン(青磁釉)、オックスブラッド(辰砂釉)、ピーコックブルーなどによる気品ある釉薬表現を特徴としています。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e\n    1935年のブリュッセル万博でゴールドメダル、1937年のパリ万博でシルバーメダルを受賞したほか、ミラノ・トリエンナーレでも1933年にシルバーメダル、1954年にゴールドメダルを受賞。さらに、1962年には芸術的功績によりプロ・フィンランディアメダルを授与されました。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\n\u003c!-- 下段：ARABIA 基本コード --\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003eARABIA｜アラビア｜1873 –｜FINLAND\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    Arabiaは1873年、ヘルシンキ郊外のアラビア地区にスウェーデンの陶磁器メーカー\n    Rörstrand（ロールストランド）の子会社として設立され、翌1874年に操業を開始しました。\n    1916年にはRörstrandの資本から離れ、フィンランド企業として独立します。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1929年には全長112メートルにおよぶ当時世界最大級のトンネル窯が導入され、\n    生産の効率化と大量生産体制が確立されました。\n    これによりArabiaはヨーロッパ有数の陶磁器工場へと発展していきます。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1932年にはKurt Ekholm（クルト・エクホルム）がアートディレクターに就任し、\n    Arabiaにおける芸術活動を芸術部門として組織化。\n    作家のための制作環境を整え、プロダクトとアートピースを並行して発展させる体制を築きました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    Arabiaの大きな特徴は、芸術部門、応用芸術部門、プロダクトデザイン部門という\n    三つの分野が相互に関わりながら製品開発を行ってきたことにあります。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    芸術部門にはToini Muona（トイニ・ムオナ）、Friedl Kjellberg（フリードル・チェルベリ）、\n    Michael Schilkin（ミカエル・シルキン）、Birger Kaipiainen（ビルガー・カイピアイネン）、\n    Rut Bryk（ルート・ブリュック）、Kyllikki Salmenhaara（キーリッキ・サルメンハーラ）らが参加。\n    その作品は1930年代から国際的な評価を獲得し、Arabiaの文化的側面を担うとともに、\n    フィンランド陶芸の発展に重要な役割を果たしました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1940年代にはFriedl Kjellbergが蛍手の技法を用いたRice Porcelainを開発。\n    1950年から量産が開始され、1974年まで続くロングセラーとなり、\n    Arabiaを代表する芸術磁器として国際的に高い評価を受けました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    Ekholmは1930年代に北欧で広がった機能主義の流れを背景に、\n    1935年にテーブルウェアARシリーズ（SINIVALKO）を発表し、\n    後の北欧モダンデザインの方向性を示しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1945年にはKaj Franck（カイ・フランク）がデザイナーとして入社し、\n    Kaarina Aho（カーリナ・アホ）やUlla Procopé（ウラ・プロコペ）らとともに\n    プロダクトデザインの刷新を進めました。\n    1953年に発表されたKiltaシリーズは、シンプルな幾何学フォルムと多用途性を特徴とする\n    革新的なモダンデザインのテーブルウェアとして大きな成功を収めました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    Arabiaは1930年代から数多くの受賞歴を誇りますが、特に1950年代の\n    ミラノ・トリエンナーレ（1951・1954・1957）では、\n    芸術部門の作家の作品に加えデザイナーによるプロダクトも数多く受賞し、\n    世界的な評価を確立しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e","brand":"FRIEDL KJELLBERG","offers":[{"title":"WHITE \/ FKRC199","offer_id":48595509248240,"sku":null,"price":9900.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/FKRC199_1.jpg?v=1765881971"},{"product_id":"relations™-relations™-bowlclear-75mm","title":"relations™ BOWL(CLEAR) 75mm","description":"\u003cdiv class=\"black-text-01\"\u003e\n\u003cp\u003e\nrelations™は、1999年にIittala（イッタラ）がKonstantin Grcic（コンスタンチン・グルチッチ）、Annaleena Hakatie（アンナレーナ・ハカティエ）、Harri Koskinen（ハッリ・コスキネン）、Marc Newson（マーク・ニューソン）、Carina Seth-Andersson（カリーナ・セス＝アンダーソン）といった気鋭のデザイナー5名を起用し、異なるデザインアプローチを通して、形状・使用・機能・表現の関係性をそれぞれの視点からデザインしたシリーズです。\u003c\/p\u003e\n \u003cp\u003e\nこちらは、1990年代後半に国際的な評価を高めていたドイツ人デザイナーKonstantin Grcicによるrelationsシリーズのひとつ。\u003cbr\u003e外側のフォルムはフラットで、内側の厚みに変化を持たせることで段差を生み出しスタッキングを可能にした、それまでにない画期的なスタッキンググラスでした。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e\nもう一つの特徴は、重厚な底部と厚みの差によって生まれるグラデーションです。\u003cbr\u003e底部の重量感が安定性と全体の印象を引き締めるとともに、3段階の厚みによる差が視覚的な変化を生み出しています。\u003cbr\u003eさらにスタッキングすることで、そのグラデーションは連続し、造形の美しさをより際立たせています。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e\n※目立つダメージなく良い状態です。\u003c\/p\u003e   \n\u003c\/div\u003e","brand":"KONSTANTIN GRCIC","offers":[{"title":"CLEAR \/ GRCC228","offer_id":48600431165680,"sku":null,"price":4400.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/GRCC228_1.jpg?v=1765965411"},{"product_id":"bowl-4","title":"BOWL L","description":"\u003cdiv class=\"black-text-01\"\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003eこちらは、水辺に映る景色のような幻想的な釉薬の作品。\u003cbr\u003e\n2サイズ展開で大きい方となります。\u003cbr\u003e\n※目立つダメージなく良い状態です。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\n\u003c!-- 下段：ANNIKKI HOVISAARI 基本コード --\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003eANNIKKI HOVISAARI｜アンニッキ・ホヴィサーリ｜1918–2004｜FINLAND\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    Annikki Hovisaari（アンニッキ・ホヴィサーリ）は、フィンランドの女性陶芸家・デザイナー。\n    中央美術工芸学校で陶芸を専攻しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    卒業後の1949年からOlga Osol（オルガ・オソル）率いるARABIAの応用美術部門に配属され、\n    主にテーブルウェアのデザインや絵付けなどに従事しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    その傍ら轆轤による一点物の作品制作も行い、作家としての活動を続けます。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1962年にイタリアで開催された国際コンペティションで一等を受賞したことが評価され、\n    1963年よりARABIAの美術部門の作家となり1975年まで活躍しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    美術部門では、粗いシャモットなど土の素材感が強く感じられる作品を多く残しています。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\n\u003c!-- 下段：ARABIA 基本コード --\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003eARABIA｜アラビア｜1873 –｜FINLAND\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    Arabiaは1873年、ヘルシンキ郊外のアラビア地区にスウェーデンの陶磁器メーカー\n    Rörstrand（ロールストランド）の子会社として設立され、翌1874年に操業を開始しました。\n    1916年にはRörstrandの資本から離れ、フィンランド企業として独立します。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1929年には全長112メートルにおよぶ当時世界最大級のトンネル窯が導入され、\n    生産の効率化と大量生産体制が確立されました。\n    これによりArabiaはヨーロッパ有数の陶磁器工場へと発展していきます。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1932年にはKurt Ekholm（クルト・エクホルム）がアートディレクターに就任し、\n    Arabiaにおける芸術活動を芸術部門として組織化。\n    作家のための制作環境を整え、プロダクトとアートピースを並行して発展させる体制を築きました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    Arabiaの大きな特徴は、芸術部門、応用芸術部門、プロダクトデザイン部門という\n    三つの分野が相互に関わりながら製品開発を行ってきたことにあります。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    芸術部門にはToini Muona（トイニ・ムオナ）、Friedl Kjellberg（フリードル・チェルベリ）、\n    Michael Schilkin（ミカエル・シルキン）、Birger Kaipiainen（ビルガー・カイピアイネン）、\n    Rut Bryk（ルート・ブリュック）、Kyllikki Salmenhaara（キーリッキ・サルメンハーラ）らが参加。\n    その作品は1930年代から国際的な評価を獲得し、Arabiaの文化的側面を担うとともに、\n    フィンランド陶芸の発展に重要な役割を果たしました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1940年代にはFriedl Kjellbergが蛍手の技法を用いたRice Porcelainを開発。\n    1950年から量産が開始され、1974年まで続くロングセラーとなり、\n    Arabiaを代表する芸術磁器として国際的に高い評価を受けました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    Ekholmは1930年代に北欧で広がった機能主義の流れを背景に、\n    1935年にテーブルウェアARシリーズ（SINIVALKO）を発表し、\n    後の北欧モダンデザインの方向性を示しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1945年にはKaj Franck（カイ・フランク）がデザイナーとして入社し、\n    Kaarina Aho（カーリナ・アホ）やUlla Procopé（ウラ・プロコペ）らとともに\n    プロダクトデザインの刷新を進めました。\n    1953年に発表されたKiltaシリーズは、シンプルな幾何学フォルムと多用途性を特徴とする\n    革新的なモダンデザインのテーブルウェアとして大きな成功を収めました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    Arabiaは1930年代から数多くの受賞歴を誇りますが、特に1950年代の\n    ミラノ・トリエンナーレ（1951・1954・1957）では、\n    芸術部門の作家の作品に加えデザイナーによるプロダクトも数多く受賞し、\n    世界的な評価を確立しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e","brand":"ANNIKKI HOVISAARI","offers":[{"title":"BLUE \/ ANHV013","offer_id":48601126306032,"sku":null,"price":38500.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/ANHV013_1.jpg?v=1765970871"},{"product_id":"bowl-5","title":"BOWL","description":"\u003cdiv class=\"black-text-01\"\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003eこちらは、水辺に映る景色のような幻想的な釉薬の作品。\u003cbr\u003e\n2サイズ展開で小さい方となります。\u003cbr\u003e\n※目立つダメージなく良い状態です。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\n\u003c!-- 下段：ANNIKKI HOVISAARI 基本コード --\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003eANNIKKI HOVISAARI｜アンニッキ・ホヴィサーリ｜1918–2004｜FINLAND\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    Annikki Hovisaari（アンニッキ・ホヴィサーリ）は、フィンランドの女性陶芸家・デザイナー。\n    中央美術工芸学校で陶芸を専攻しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    卒業後の1949年からOlga Osol（オルガ・オソル）率いるARABIAの応用美術部門に配属され、\n    主にテーブルウェアのデザインや絵付けなどに従事しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    その傍ら轆轤による一点物の作品制作も行い、作家としての活動を続けます。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1962年にイタリアで開催された国際コンペティションで一等を受賞したことが評価され、\n    1963年よりARABIAの美術部門の作家となり1975年まで活躍しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    美術部門では、粗いシャモットなど土の素材感が強く感じられる作品を多く残しています。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\n\u003c!-- 下段：ARABIA 基本コード --\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003eARABIA｜アラビア｜1873 –｜FINLAND\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    Arabiaは1873年、ヘルシンキ郊外のアラビア地区にスウェーデンの陶磁器メーカー\n    Rörstrand（ロールストランド）の子会社として設立され、翌1874年に操業を開始しました。\n    1916年にはRörstrandの資本から離れ、フィンランド企業として独立します。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1929年には全長112メートルにおよぶ当時世界最大級のトンネル窯が導入され、\n    生産の効率化と大量生産体制が確立されました。\n    これによりArabiaはヨーロッパ有数の陶磁器工場へと発展していきます。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1932年にはKurt Ekholm（クルト・エクホルム）がアートディレクターに就任し、\n    Arabiaにおける芸術活動を芸術部門として組織化。\n    作家のための制作環境を整え、プロダクトとアートピースを並行して発展させる体制を築きました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    Arabiaの大きな特徴は、芸術部門、応用芸術部門、プロダクトデザイン部門という\n    三つの分野が相互に関わりながら製品開発を行ってきたことにあります。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    芸術部門にはToini Muona（トイニ・ムオナ）、Friedl Kjellberg（フリードル・チェルベリ）、\n    Michael Schilkin（ミカエル・シルキン）、Birger Kaipiainen（ビルガー・カイピアイネン）、\n    Rut Bryk（ルート・ブリュック）、Kyllikki Salmenhaara（キーリッキ・サルメンハーラ）らが参加。\n    その作品は1930年代から国際的な評価を獲得し、Arabiaの文化的側面を担うとともに、\n    フィンランド陶芸の発展に重要な役割を果たしました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1940年代にはFriedl Kjellbergが蛍手の技法を用いたRice Porcelainを開発。\n    1950年から量産が開始され、1974年まで続くロングセラーとなり、\n    Arabiaを代表する芸術磁器として国際的に高い評価を受けました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    Ekholmは1930年代に北欧で広がった機能主義の流れを背景に、\n    1935年にテーブルウェアARシリーズ（SINIVALKO）を発表し、\n    後の北欧モダンデザインの方向性を示しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1945年にはKaj Franck（カイ・フランク）がデザイナーとして入社し、\n    Kaarina Aho（カーリナ・アホ）やUlla Procopé（ウラ・プロコペ）らとともに\n    プロダクトデザインの刷新を進めました。\n    1953年に発表されたKiltaシリーズは、シンプルな幾何学フォルムと多用途性を特徴とする\n    革新的なモダンデザインのテーブルウェアとして大きな成功を収めました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    Arabiaは1930年代から数多くの受賞歴を誇りますが、特に1950年代の\n    ミラノ・トリエンナーレ（1951・1954・1957）では、\n    芸術部門の作家の作品に加えデザイナーによるプロダクトも数多く受賞し、\n    世界的な評価を確立しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e","brand":"ANNIKKI HOVISAARI","offers":[{"title":"BLUE \/ ANHV015","offer_id":48601163727088,"sku":null,"price":33000.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/ANHV015_1.jpg?v=1765971084"},{"product_id":"bottle","title":"BOTTLE","description":"\u003cdiv class=\"black-text-01\"\u003e\n\u003cp class=\"ex-text-01\"\u003eこちらは、美術部門在籍時の直方体型のボトルで作風から1967年から1970年ごろの作品と推測されます。\u003cbr\u003e\n土の素材感溢れる凹凸した表面に、青と緑と黒の釉薬が大胆に絡み合っています。\u003cbr\u003e\n※目立つダメージなく良い状態です。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\n\u003c!-- 下段：ANNIKKI HOVISAARI 基本コード --\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003eANNIKKI HOVISAARI｜アンニッキ・ホヴィサーリ｜1918–2004｜FINLAND\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    Annikki Hovisaari（アンニッキ・ホヴィサーリ）は、フィンランドの女性陶芸家・デザイナー。\n    中央美術工芸学校で陶芸を専攻しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    卒業後の1949年からOlga Osol（オルガ・オソル）率いるARABIAの応用美術部門に配属され、\n    主にテーブルウェアのデザインや絵付けなどに従事しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    その傍ら轆轤による一点物の作品制作も行い、作家としての活動を続けます。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1962年にイタリアで開催された国際コンペティションで一等を受賞したことが評価され、\n    1963年よりARABIAの美術部門の作家となり1975年まで活躍しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    美術部門では、粗いシャモットなど土の素材感が強く感じられる作品を多く残しています。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\n\u003c!-- 下段：ARABIA 基本コード --\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003eARABIA｜アラビア｜1873 –｜FINLAND\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    Arabiaは1873年、ヘルシンキ郊外のアラビア地区にスウェーデンの陶磁器メーカー\n    Rörstrand（ロールストランド）の子会社として設立され、翌1874年に操業を開始しました。\n    1916年にはRörstrandの資本から離れ、フィンランド企業として独立します。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1929年には全長112メートルにおよぶ当時世界最大級のトンネル窯が導入され、\n    生産の効率化と大量生産体制が確立されました。\n    これによりArabiaはヨーロッパ有数の陶磁器工場へと発展していきます。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1932年にはKurt Ekholm（クルト・エクホルム）がアートディレクターに就任し、\n    Arabiaにおける芸術活動を芸術部門として組織化。\n    作家のための制作環境を整え、プロダクトとアートピースを並行して発展させる体制を築きました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    Arabiaの大きな特徴は、芸術部門、応用芸術部門、プロダクトデザイン部門という\n    三つの分野が相互に関わりながら製品開発を行ってきたことにあります。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    芸術部門にはToini Muona（トイニ・ムオナ）、Friedl Kjellberg（フリードル・チェルベリ）、\n    Michael Schilkin（ミカエル・シルキン）、Birger Kaipiainen（ビルガー・カイピアイネン）、\n    Rut Bryk（ルート・ブリュック）、Kyllikki Salmenhaara（キーリッキ・サルメンハーラ）らが参加。\n    その作品は1930年代から国際的な評価を獲得し、Arabiaの文化的側面を担うとともに、\n    フィンランド陶芸の発展に重要な役割を果たしました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1940年代にはFriedl Kjellbergが蛍手の技法を用いたRice Porcelainを開発。\n    1950年から量産が開始され、1974年まで続くロングセラーとなり、\n    Arabiaを代表する芸術磁器として国際的に高い評価を受けました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    Ekholmは1930年代に北欧で広がった機能主義の流れを背景に、\n    1935年にテーブルウェアARシリーズ（SINIVALKO）を発表し、\n    後の北欧モダンデザインの方向性を示しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1945年にはKaj Franck（カイ・フランク）がデザイナーとして入社し、\n    Kaarina Aho（カーリナ・アホ）やUlla Procopé（ウラ・プロコペ）らとともに\n    プロダクトデザインの刷新を進めました。\n    1953年に発表されたKiltaシリーズは、シンプルな幾何学フォルムと多用途性を特徴とする\n    革新的なモダンデザインのテーブルウェアとして大きな成功を収めました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    Arabiaは1930年代から数多くの受賞歴を誇りますが、特に1950年代の\n    ミラノ・トリエンナーレ（1951・1954・1957）では、\n    芸術部門の作家の作品に加えデザイナーによるプロダクトも数多く受賞し、\n    世界的な評価を確立しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e","brand":"ANNIKKI HOVISAARI","offers":[{"title":"GREEN \/ ANHV009","offer_id":48639493603568,"sku":null,"price":132000.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/ANHV009_1.jpg?v=1766906957"},{"product_id":"tumblerclear-5023-006","title":"TUMBLER(CLEAR) 5023-006","description":"\u003cdiv class=\"black-text-01\"\u003e\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    カイ・フランクは、1950年にIittalaからNuutajärviへ移籍後すぐにプレスガラスのデザインに取り組みました。\u003cbr\u003e\n    5023は、1953年に製品化されたカイ・フランクにとって初めてのプレスガラスのシリーズ。\u003cbr\u003e\n    1953年から1968年まで製造され、3つのサイズバリエーションで展開されました。\u003cbr\u003e\n    当時同じグループ企業であったArabiaでデザインしたKILTAと共に、『より美しい日用品』を具現化する商品として広告にも使用されました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    こちらは、5023の容量60mlの透明ガラスになります。\u003cbr\u003e\n    当初はNuutajärviのプレスガラス機の金型精度が十分でなく、透明ガラスでの製造は困難でした。\u003cbr\u003e\n    同じくプレスガラス製で1956年に発表された5027は、透明ガラスでの製造を念頭にデザインされており、おそらくこのタイミングでプレスガラス機や金型がリニューアルされ、5023の透明ガラスも製造されるようになったものと推測されます。\u003cbr\u003e\n    ただ、個体の少なさから短期間の製造だったと思われます。\u003cbr\u003e\n    希少なもの。\u003cbr\u003e\n    ※小傷がありますが、目立つダメージなく良い状態です。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003eKAJ FRANCK｜カイ・フランク｜1911–1989｜FINLAND\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    Kaj Franck(カイ・フランク)は、20世紀フィンランドのモダンデザインを代表するデザイナーのひとり。\n    ヘルシンキの中央美術工芸学校(現アールト大学)ではArttu Brummer(アルッツ・ブルマー)に師事。卒業後は家具やインテリア、テキスタイルなど幅広い分野で活動しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1945年にKurt Ekholm(クルト・エクホルム)の要請でArabia(アラビア)に主任デザイナーとして迎えられ、戦後の日常生活に必要なテーブルウェアの刷新を担いました。\n    1946年には、Karhula-Iittala(カルフラ・イッタラ)のコンペで入賞したことを機にIittalaでガラスデザイナーとなりますが、1950年にArabiaと同じWärtsilä(ヴァルチラ)傘下のグループ企業となったNuutajärvi(ヌータヤルヴィ)に移籍し、ディレクターとしてArabiaと共通理念のガラスウェアのデザインを始めました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    『フィンランドの良心』とも称されたKaj Franckのデザイン思想は、「大衆のためのデザイン」と「デザイナーの社会的責任」という考えに基づいています。\n    シンプルな幾何学フォルムと装飾を排した色彩による表現で、長く使い続けることのできる普遍的なプロダクトを数多くデザインしました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    ArabiaのKILTA(現TEEMA)シリーズやNuutajärviのタンブラー5027(現KARTIO)シリーズは、現在もIittalaで製造が続けられるロングセラーとなっています。\n    またその一方で、Nuutajärviでは工芸的アプローチによる芸術性の高いユニークピースのガラス作品も数多く手がけており、これらにFranckの芸術家としての側面を見ることができます。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1960年からはヘルシンキの芸術デザイン学校(現アールト大学)で教育にも携わり、フィンランドのデザイン教育にも大きな影響を与えました。\n    ルニング賞(1955年)、ミラノ・トリエンナーレ グランプリ(1957年)、コンパッソ・ドーロ賞(1957年)など受賞歴多数。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\"","brand":"KAJ FRANCK","offers":[{"title":"CLEAR \/ KFGL1843","offer_id":48639557271792,"sku":null,"price":4400.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/KFGL1843_1.jpg?v=1766909292"},{"product_id":"tumblerblue-1722-012","title":"TUMBLER(BLUE) 1722-012","description":"\u003cdiv class=\"black-text-01\"\u003e\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1955年から1971年に製造。\u003cbr\u003e型吹きにより製造されたシリンダー型のシンプルなタンブラー。\u003cbr\u003eこちらは、5サイズのバリエーションで展開されたうちの2番目に小さいサイズで容量120ml。\u003cbr\u003e※目立つダメージなく良い状態です。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003eKAJ FRANCK｜カイ・フランク｜1911–1989｜FINLAND\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    Kaj Franck(カイ・フランク)は、20世紀フィンランドのモダンデザインを代表するデザイナーのひとり。\n    ヘルシンキの中央美術工芸学校(現アールト大学)ではArttu Brummer(アルッツ・ブルマー)に師事。卒業後は家具やインテリア、テキスタイルなど幅広い分野で活動しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1945年にKurt Ekholm(クルト・エクホルム)の要請でArabia(アラビア)に主任デザイナーとして迎えられ、戦後の日常生活に必要なテーブルウェアの刷新を担いました。\n    1946年には、Karhula-Iittala(カルフラ・イッタラ)のコンペで入賞したことを機にIittalaでガラスデザイナーとなりますが、1950年にArabiaと同じWärtsilä(ヴァルチラ)傘下のグループ企業となったNuutajärvi(ヌータヤルヴィ)に移籍し、ディレクターとしてArabiaと共通理念のガラスウェアのデザインを始めました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    『フィンランドの良心』とも称されたKaj Franckのデザイン思想は、「大衆のためのデザイン」と「デザイナーの社会的責任」という考えに基づいています。\n    シンプルな幾何学フォルムと装飾を排した色彩による表現で、長く使い続けることのできる普遍的なプロダクトを数多くデザインしました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    ArabiaのKILTA(現TEEMA)シリーズやNuutajärviのタンブラー5027(現KARTIO)シリーズは、現在もIittalaで製造が続けられるロングセラーとなっています。\n    またその一方で、Nuutajärviでは工芸的アプローチによる芸術性の高いユニークピースのガラス作品も数多く手がけており、これらにFranckの芸術家としての側面を見ることができます。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1960年からはヘルシンキの芸術デザイン学校(現アールト大学)で教育にも携わり、フィンランドのデザイン教育にも大きな影響を与えました。\n    ルニング賞(1955年)、ミラノ・トリエンナーレ グランプリ(1957年)、コンパッソ・ドーロ賞(1957年)など受賞歴多数。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\"","brand":"KAJ FRANCK","offers":[{"title":"BLUE \/ KFGL1748","offer_id":48639562514672,"sku":null,"price":4400.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/KFGL1748_1.jpg?v=1766909416"},{"product_id":"plateyellow-5268-140","title":"PLATE(YELLOW) 5268-140","description":"\u003cdiv class=\"black-text-01\"\u003e\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1954年から1967年まで製造。\u003cbr\u003e\n    1954年にスクエア型の5269と共に発表された、Kaj Franckにとって初めてのプレスガラス製のプレート。\u003cbr\u003e\n    1953年にArabiaより発表されたKILTAシリーズのプレートに似たフォルム。\u003cbr\u003e\n    ※使用感さほどなく良い状態です。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003eKAJ FRANCK｜カイ・フランク｜1911–1989｜FINLAND\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    Kaj Franck(カイ・フランク)は、20世紀フィンランドのモダンデザインを代表するデザイナーのひとり。\n    ヘルシンキの中央美術工芸学校(現アールト大学)ではArttu Brummer(アルッツ・ブルマー)に師事。卒業後は家具やインテリア、テキスタイルなど幅広い分野で活動しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1945年にKurt Ekholm(クルト・エクホルム)の要請でArabia(アラビア)に主任デザイナーとして迎えられ、戦後の日常生活に必要なテーブルウェアの刷新を担いました。\n    1946年には、Karhula-Iittala(カルフラ・イッタラ)のコンペで入賞したことを機にIittalaでガラスデザイナーとなりますが、1950年にArabiaと同じWärtsilä(ヴァルチラ)傘下のグループ企業となったNuutajärvi(ヌータヤルヴィ)に移籍し、ディレクターとしてArabiaと共通理念のガラスウェアのデザインを始めました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    『フィンランドの良心』とも称されたKaj Franckのデザイン思想は、「大衆のためのデザイン」と「デザイナーの社会的責任」という考えに基づいています。\n    シンプルな幾何学フォルムと装飾を排した色彩による表現で、長く使い続けることのできる普遍的なプロダクトを数多くデザインしました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    ArabiaのKILTA(現TEEMA)シリーズやNuutajärviのタンブラー5027(現KARTIO)シリーズは、現在もIittalaで製造が続けられるロングセラーとなっています。\n    またその一方で、Nuutajärviでは工芸的アプローチによる芸術性の高いユニークピースのガラス作品も数多く手がけており、これらにFranckの芸術家としての側面を見ることができます。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1960年からはヘルシンキの芸術デザイン学校(現アールト大学)で教育にも携わり、フィンランドのデザイン教育にも大きな影響を与えました。\n    ルニング賞(1955年)、ミラノ・トリエンナーレ グランプリ(1957年)、コンパッソ・ドーロ賞(1957年)など受賞歴多数。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\"","brand":"KAJ FRANCK","offers":[{"title":"YELLOW \/ KFGL1328","offer_id":48639569821936,"sku":null,"price":4400.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/KFGL1328_1.jpg?v=1766909696"},{"product_id":"kfkl503","title":"\"KILTA\" BOX(BLUE) IS3","description":"\u003cdiv class=\"item-description\"\u003e\n\u003cp\u003eKaj Franck(カイ・フランク)が1951年からデザインに取り組み、1953年にARABIA(アラビア)から販売が始まったBAモデル。当初は8点で構成され、1954年中頃からKILTAシリーズとして展開されていきました。以後、既存モデルや追加アイテムを取り込みながら、1974年まで製造されたKaj Franckを代表するプロダクトのひとつです。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e1954年のミラノ・トリエンナーレでは、KILTAを含むARABIAの実用陶磁器で、Kaj Franckは名誉賞を受賞しました。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eフィンランド語で『Kilta』は、ギルド(同じ職業や技術を持つ人々の組合)を意味します。KILTAシリーズもまた、BAモデルを中心に、複数のモデルを共通した色調と機能性のもとに結びつけながら展開されました。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eKILTAは、戦後のフィンランドにおける住環境や生活様式の変化を背景に生まれたテーブルウェアです。従来のように多くの種類の食器を一式で揃えるディナーセットではなく、共通したデザイン言語を持つ独立した食器を、必要に応じて組み合わせ、他の食器とも調和することを前提にデザインされました。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e装飾を施さず、単色の釉薬による仕上げ、幾何学的な基本形をもとにしたフォルム、スタッキング構造、ひとつの器を複数の用途に使えることなど、限られた収納スペースや日常使いに対応する工夫が見られます。また、オーブンから食卓へそのまま出せる実用性も、KILTAの特徴のひとつです。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eKILTAの製造終了は需要の低下ではなく、1970年代の陶磁器産業の再編と、ARABIAの生産体制がファイアンスからストーンウェア中心へ移ったことによるものでした。KILTAの理念は、素材やフォルムを見直した1981年発表のTEEMAへ受け継がれ、現在もIITTALA(イッタラ)の定番テーブルウェアとして製造が続いています。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eこちらは、1949年にデザインされたISモデルの蓋つき容器で、後にKILTAシリーズ組み込まれたモデル。\n直径が110mmで高さが異なるIS1とIS2、直径が150mmのIS3の3サイズで展開されました。\nこちらはIS3で、3サイズで最も希少なモデルです。\nおそらく1960年前後に短期間のみ製造されたモデルと推測されます。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e蓋の底面の釉薬がかかっていない箇所の縁に小さな欠けがあります。蓋の上部には製造時から釉薬が薄い箇所があります。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eKILTAの釉薬には、製造時に生じた小さなスポットが見られる場合があります。後年の使用によるダメージではありません。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\n\u003cdiv style=\"margin-top: 48px;\" class=\"black-text-01\"\u003e\n\u003ch3\u003e\u003cstrong\u003eKAJ FRANCK｜カイ・フランク｜1911–1989｜FINLAND\u003c\/strong\u003e\u003c\/h3\u003e\n\u003cp\u003eKaj Franck(カイ・フランク)は、20世紀フィンランドのモダンデザインを代表するデザイナーのひとり。中央美術工芸学校でフィンランドデザイン界の重鎮Arttu Brummer(アルットゥ・ブルンメル)のもと、家具デザインを学び、在学中の1930年にはBrummerに率いられた研修旅行でストックホルム博覧会を訪れ、機能主義の新しい潮流に触れました。1932年に卒業後、家具やインテリア、テキスタイル、玩具など幅広い分野で活動し、1934年にはRiihimäen Lasi(リーヒマエン・ラシ)で製図工として短期間働きました。1939年以降は第二次世界大戦の影響により活動が制限されましたが、この時期の経験は、のちの社会性を備えたデザイン思想の形成につながりました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e1945年、ArabiaのアートディレクターであったKurt Ekholm(クルト・エクホルム)に招かれ、Arabia(アラビア)で戦後の日常生活に必要なテーブルウェアの刷新を担いました。Ekholmはこの時、Arabiaで初めてテーブルウェアのデザインを専門に担うデザイナーを起用しており、その最初の担い手となったのがFranckでした。もともと陶芸の訓練を受けていなかったことから、既存のテーブルウェアの慣習にとらわれない新たな視点を持つデザイナーとして起用されたと考えられます。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e1946年にはKarhula-Iittala(カルフラ・イッタラ)のコンペで入賞したことを機にIittalaでガラスデザイナーとなります。1950年には、Nuutajärvi(ヌータヤルヴィ)がArabiaと同じWärtsilä(ヴァルチラ)傘下のグループ企業となったことを機に、活動の場をNuutajärviへ移し、ディレクターとしてArabiaと共通理念のガラスウェアのデザインを始めました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e『フィンランドの良心』とも称されたKaj Franckのデザイン思想は、『大衆のためのデザイン』と『デザイナーの社会的責任』という考えに基づいています。シンプルな幾何学フォルムと装飾を排した色彩による表現で、長く使い続けることのできる普遍的なプロダクトを数多くデザインしました。彼にとって美しさとは、\"necessary, functional, justified and right\"(「必要であり、機能的であり、正当であり、適切であること」)でした。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e1950年代にデザインされたArabiaのKILTA(現TEEMA)シリーズやNuutajärviのタンブラー5027(現KARTIO)シリーズは、Kaj Franckの思想を最も端的に示す代表作であり、現在もIittalaで製造が続けられているロングセラーとなっています。特にKILTAは、必要な器を個別に選び、自由に組み合わせて使うという革新的な考え方を提示し、従来の食器セットのあり方を再定義するとともに、その後のモダンテーブルウェアの方向性を示しました。またその一方で、Nuutajärviでは、1970年代を中心に様々な技法を駆使した工芸的アプローチによる芸術性の高いユニークピースのガラス作品も数多く手がけており、そこにはFranckの芸術家としてのもうひとつの側面を見ることができます。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e1960年からはヘルシンキの芸術デザイン学校で教育にも携わり、フィンランドのデザイン教育にも大きな影響を与えました。また、その名を冠したKaj Franckデザイン賞が設けられていることからも、その功績と影響の大きさがうかがえます。1954年のミラノ・トリエンナーレでの名誉賞をはじめ、1955年のルニング賞、1957年のミラノ・トリエンナーレでのグランプリ、コンパッソ・ドーロ賞など受賞歴多数。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\n\u003c!-- 下段：ARABIA 基本コード --\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003e\u003cstrong\u003eARABIA｜アラビア｜1873–｜FINLAND\u003c\/strong\u003e\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp\u003eArabiaは1873年、ヘルシンキ郊外のアラビア地区にスウェーデンの陶磁器メーカー Rörstrand（ロールストランド）の子会社として設立され、翌1874年に操業を開始しました。1916年にはRörstrandの資本から離れ、フィンランド企業として独立します。1929年には全長112メートルにおよぶ当時世界最大級のトンネル窯が導入され、生産の効率化と大量生産体制が確立されました。これによりArabiaはヨーロッパ有数の陶磁器工場へと発展していきます。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e1932年にはKurt Ekholm（クルト・エクホルム）がアートディレクターに就任し、Arabiaにおける芸術活動を芸術部門として組織化。作家のための制作環境を整え、プロダクトとアートピースを並行して発展させる体制を築きました。Arabiaの大きな特徴は、芸術部門、応用芸術部門、プロダクトデザイン部門という三つの分野が相互に関わりながら製品開発を行ってきたことにあります。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e芸術部門にはToini Muona（トイニ・ムオナ）、Friedl Kjellberg（フリードル・チェルベリ）、Michael Schilkin（ミカエル・シルキン）、Birger Kaipiainen（ビルガー・カイピアイネン）、Rut Bryk（ルート・ブリュック）、Kyllikki Salmenhaara（キーリッキ・サルメンハーラ）らが参加。その作品は1930年代から国際的な評価を獲得し、Arabiaの文化的側面を担うとともに、フィンランド陶芸の発展に重要な役割を果たしました。1940年代にはFriedl Kjellbergが蛍手の技法を用いたRice Porcelainを開発。1950年から量産が開始され、1974年まで続くロングセラーとなり、Arabiaを代表する芸術磁器として国際的に高い評価を受けました。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eEkholmは1930年代に北欧で広がった機能主義の流れを背景に、1935年にテーブルウェアARシリーズ（SINIVALKO）を発表し、後の北欧モダンデザインの方向性を示しました。1945年にはKaj Franck（カイ・フランク）がデザイナーとして入社し、Kaarina Aho（カーリナ・アホ）やUlla Procopé（ウラ・プロコペ）らとともにプロダクトデザインの刷新を進めました。1953年に発表されたKiltaシリーズは、シンプルな幾何学フォルムと多用途性を特徴とする革新的なモダンデザインのテーブルウェアとして大きな成功を収めました。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eArabiaは1930年代から数多くの受賞歴を誇りますが、特に1950年代のミラノ・トリエンナーレ（1951・1954・1957）では、芸術部門の作家の作品に加えデザイナーによるプロダクトも数多く受賞し、世界的な評価を確立しました。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e","brand":"KAJ FRANCK","offers":[{"title":"BLUE \/ KFKL503","offer_id":48640051282160,"sku":null,"price":24750.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/KFKL503_1_c4e76501-daf0-419c-9390-7459162e6026.jpg?v=1777641723"},{"product_id":"arab557","title":"SQUARE DISH(BLACK) HF","description":"\u003cdiv class=\"black-text-01\"\u003e\n\u003cp\u003eKaarina Aho(カーリナ・アホ)によってデザインされたHFモデルの角皿。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003eKaj Franck(カイ・フランク)のKILTAシリーズの基本理念を踏襲しデザインで、KILTAシリーズの角皿と比べると、立ち上がりの角度がより垂直に近いフォルム。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003eこれは、木製トレーに複数を並べたオードブル皿としてデザインされており、並べた際の収まりを考慮してのことと思われます。1958年から1964年に製造されました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e※目立つダメージなく良い状態です。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\n\u003c!-- 下段：KAARINA AHO 基本コード --\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003e\u003cstrong\u003eKAARINA AHO｜カーリナ・アホ｜1925–1990｜FINLAND\u003c\/strong\u003e\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp\u003eKaarina Aho（カーリナ・アホ）はフィンランドの女性陶芸家、デザイナー。祖父に国民的作家Juhani Aho（ユハニ・アホ）、祖母に芸術家Venny Soldan-Brofeldt（ヴェニー・ソルダン・ブロフェルト）をもつ、文化的に著名な家系に生まれました。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e中央美術工芸学校を卒業後、1946年からKaj Franck（カイ・フランク）の最初のアシスタントとしてアラビアのプロダクトデザイン部門に加わり、1949年から1962年までデザイナーとして数多くのプロダクトをデザインしました。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e1957年のミラノ・トリエンナーレでは、BLモデルのモカカップがゴールドメダルを受賞しています。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eアラビア在籍当初は大量生産品の装飾などの職務に満足できず辞職を申し出ましたが、それは認められず、代わりに研究所から釉薬部門まで工場内のほぼすべての部署を経験することに。その過程で培われた幅広い知識と技術は、その後の制作の基盤となりました。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eArabiaではプロダクトデザインに携わる一方で、ろくろによる一点物の制作にも取り組み、自身の展覧会も開催しました。1962年にArabiaを離れたのちも、自身の工房で制作を続け、豊かな釉薬表現をもつ作品を数多く生み出しました。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\n\u003c!-- 下段：ARABIA 基本コード --\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003e\u003cstrong\u003eARABIA｜アラビア｜1873–｜FINLAND\u003c\/strong\u003e\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp\u003eArabiaは1873年、ヘルシンキ郊外のアラビア地区にスウェーデンの陶磁器メーカー Rörstrand（ロールストランド）の子会社として設立され、翌1874年に操業を開始しました。1916年にはRörstrandの資本から離れ、フィンランド企業として独立します。1929年には全長112メートルにおよぶ当時世界最大級のトンネル窯が導入され、生産の効率化と大量生産体制が確立されました。これによりArabiaはヨーロッパ有数の陶磁器工場へと発展していきます。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e1932年にはKurt Ekholm（クルト・エクホルム）がアートディレクターに就任し、Arabiaにおける芸術活動を芸術部門として組織化。作家のための制作環境を整え、プロダクトとアートピースを並行して発展させる体制を築きました。Arabiaの大きな特徴は、芸術部門、応用芸術部門、プロダクトデザイン部門という三つの分野が相互に関わりながら製品開発を行ってきたことにあります。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e芸術部門にはToini Muona（トイニ・ムオナ）、Friedl Kjellberg（フリードル・チェルベリ）、Michael Schilkin（ミカエル・シルキン）、Birger Kaipiainen（ビルガー・カイピアイネン）、Rut Bryk（ルート・ブリュック）、Kyllikki Salmenhaara（キーリッキ・サルメンハーラ）らが参加。その作品は1930年代から国際的な評価を獲得し、Arabiaの文化的側面を担うとともに、フィンランド陶芸の発展に重要な役割を果たしました。1940年代にはFriedl Kjellbergが蛍手の技法を用いたRice Porcelainを開発。1950年から量産が開始され、1974年まで続くロングセラーとなり、Arabiaを代表する芸術磁器として国際的に高い評価を受けました。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eEkholmは1930年代に北欧で広がった機能主義の流れを背景に、1935年にテーブルウェアARシリーズ（SINIVALKO）を発表し、後の北欧モダンデザインの方向性を示しました。1945年にはKaj Franck（カイ・フランク）がデザイナーとして入社し、Kaarina Aho（カーリナ・アホ）やUlla Procopé（ウラ・プロコペ）らとともにプロダクトデザインの刷新を進めました。1953年に発表されたKiltaシリーズは、シンプルな幾何学フォルムと多用途性を特徴とする革新的なモダンデザインのテーブルウェアとして大きな成功を収めました。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eArabiaは1930年代から数多くの受賞歴を誇りますが、特に1950年代のミラノ・トリエンナーレ（1951・1954・1957）では、芸術部門の作家の作品に加えデザイナーによるプロダクトも数多く受賞し、世界的な評価を確立しました。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e","brand":"KAARINA AHO","offers":[{"title":"BLACK \/ ARAB557","offer_id":48641414168816,"sku":null,"price":6050.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/ARAB557_1_4210a1dd-e7fe-4f25-a30c-79ae442a3ef3.jpg?v=1777718347"},{"product_id":"tupa-tumbler-5213-2381-200ml","title":"\"TUPA\" TUMBLER 5213\/2381 200ml","description":"\u003cdiv class=\"black-text-01\"\u003e\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    TUPAシリーズは、1946年に開催されたKARHULA-IITTALAのデザインコンペで2位・3位を受賞したことを契機に、1946年から4年間所属したIITTALA（イッタラ）でデザインした唯一のプロダクトであり、キャリアで初めてデザインしたガラスを素材としたプロダクトでもあります。\n    1948年にストックマンデパートで発表され、その後1954年まで製造されました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    TUPAシリーズは、フィンランドで19世紀半ばまで作られていた『WALDGLAS（森林ガラス）』を再現したもので、アンティークグリーンと呼ばれるガラスは、このシリーズの為に特別に開発されました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    こちらは、TUPAシリーズのタンブラーで1949年から1954年に製造されました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    『WALDGLAS（森林ガラス）』とは、森の灰と砂を主な原料とした緑色のガラスで、気泡や皺、不純物など均一で質の良いガラスではありません。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    また、これまでTUPAシリーズを数多く取り扱ってきましたが、ほとんどのものにスレや傷やシミなどがありました。\n    これは同時代のIITTALA製品には見られない現象であり、おそらくこのガラスの特性と思われます。\n    同じItem No.でもガラスの厚みやフォルムも個体差があります。どうぞご了承ください。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    ※スレや傷など使用感があります。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003eKAJ FRANCK｜カイ・フランク｜1911–1989｜FINLAND\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    Kaj Franck(カイ・フランク)は、20世紀フィンランドのモダンデザインを代表するデザイナーのひとり。\n    ヘルシンキの中央美術工芸学校(現アールト大学)ではArttu Brummer(アルッツ・ブルマー)に師事。卒業後は家具やインテリア、テキスタイルなど幅広い分野で活動しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1945年にKurt Ekholm(クルト・エクホルム)の要請でArabia(アラビア)に主任デザイナーとして迎えられ、戦後の日常生活に必要なテーブルウェアの刷新を担いました。\n    1946年には、Karhula-Iittala(カルフラ・イッタラ)のコンペで入賞したことを機にIittalaでガラスデザイナーとなりますが、1950年にArabiaと同じWärtsilä(ヴァルチラ)傘下のグループ企業となったNuutajärvi(ヌータヤルヴィ)に移籍し、ディレクターとしてArabiaと共通理念のガラスウェアのデザインを始めました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    『フィンランドの良心』とも称されたKaj Franckのデザイン思想は、「大衆のためのデザイン」と「デザイナーの社会的責任」という考えに基づいています。\n    シンプルな幾何学フォルムと装飾を排した色彩による表現で、長く使い続けることのできる普遍的なプロダクトを数多くデザインしました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    ArabiaのKILTA(現TEEMA)シリーズやNuutajärviのタンブラー5027(現KARTIO)シリーズは、現在もIittalaで製造が続けられるロングセラーとなっています。\n    またその一方で、Nuutajärviでは工芸的アプローチによる芸術性の高いユニークピースのガラス作品も数多く手がけており、これらにFranckの芸術家としての側面を見ることができます。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1960年からはヘルシンキの芸術デザイン学校(現アールト大学)で教育にも携わり、フィンランドのデザイン教育にも大きな影響を与えました。\n    ルニング賞(1955年)、ミラノ・トリエンナーレ グランプリ(1957年)、コンパッソ・ドーロ賞(1957年)など受賞歴多数。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e","brand":"KAJ FRANCK","offers":[{"title":"GREEN \/ KFGL1591","offer_id":48704163315952,"sku":null,"price":13200.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/KFGL1591_1.jpg?v=1768048636"},{"product_id":"tupa-tumbler-5213-2381-200ml-2","title":"\"TUPA\" TUMBLER 5213\/2381 200ml","description":"\u003cdiv class=\"black-text-01\"\u003e\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    TUPAシリーズは、1946年に開催されたKARHULA-IITTALAのデザインコンペで2位・3位を受賞したことを契機に、1946年から4年間所属したIITTALA（イッタラ）でデザインした唯一のプロダクトであり、キャリアで初めてデザインしたガラスを素材としたプロダクトでもあります。\n    1948年にストックマンデパートで発表され、その後1954年まで製造されました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    TUPAシリーズは、フィンランドで19世紀半ばまで作られていた『WALDGLAS（森林ガラス）』を再現したもので、アンティークグリーンと呼ばれるガラスは、このシリーズの為に特別に開発されました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    こちらは、TUPAシリーズのタンブラーで1949年から1954年に製造されました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    『WALDGLAS（森林ガラス）』とは、森の灰と砂を主な原料とした緑色のガラスで、気泡や皺、不純物など均一で質の良いガラスではありません。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    また、これまでTUPAシリーズを数多く取り扱ってきましたが、ほとんどのものにスレや傷やシミなどがありました。\n    これは同時代のIITTALA製品には見られない現象であり、おそらくこのガラスの特性と思われます。\n    同じItem No.でもガラスの厚みやフォルムも個体差があります。どうぞご了承ください。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    ※スレや傷など使用感があります。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003eKAJ FRANCK｜カイ・フランク｜1911–1989｜FINLAND\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    Kaj Franck(カイ・フランク)は、20世紀フィンランドのモダンデザインを代表するデザイナーのひとり。\n    ヘルシンキの中央美術工芸学校(現アールト大学)ではArttu Brummer(アルッツ・ブルマー)に師事。卒業後は家具やインテリア、テキスタイルなど幅広い分野で活動しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1945年にKurt Ekholm(クルト・エクホルム)の要請でArabia(アラビア)に主任デザイナーとして迎えられ、戦後の日常生活に必要なテーブルウェアの刷新を担いました。\n    1946年には、Karhula-Iittala(カルフラ・イッタラ)のコンペで入賞したことを機にIittalaでガラスデザイナーとなりますが、1950年にArabiaと同じWärtsilä(ヴァルチラ)傘下のグループ企業となったNuutajärvi(ヌータヤルヴィ)に移籍し、ディレクターとしてArabiaと共通理念のガラスウェアのデザインを始めました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    『フィンランドの良心』とも称されたKaj Franckのデザイン思想は、「大衆のためのデザイン」と「デザイナーの社会的責任」という考えに基づいています。\n    シンプルな幾何学フォルムと装飾を排した色彩による表現で、長く使い続けることのできる普遍的なプロダクトを数多くデザインしました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    ArabiaのKILTA(現TEEMA)シリーズやNuutajärviのタンブラー5027(現KARTIO)シリーズは、現在もIittalaで製造が続けられるロングセラーとなっています。\n    またその一方で、Nuutajärviでは工芸的アプローチによる芸術性の高いユニークピースのガラス作品も数多く手がけており、これらにFranckの芸術家としての側面を見ることができます。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1960年からはヘルシンキの芸術デザイン学校(現アールト大学)で教育にも携わり、フィンランドのデザイン教育にも大きな影響を与えました。\n    ルニング賞(1955年)、ミラノ・トリエンナーレ グランプリ(1957年)、コンパッソ・ドーロ賞(1957年)など受賞歴多数。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e","brand":"KAJ FRANCK","offers":[{"title":"GREEN \/ KFGL1593","offer_id":48704164331760,"sku":null,"price":13200.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/KFGL1593_1.jpg?v=1768048878"},{"product_id":"tupa-plate-s-5230-2430","title":"\"TUPA\"  PLATE S 5230\/2430","description":"\u003cdiv class=\"black-text-01\"\u003e\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    TUPAシリーズは、1946年に開催されたKARHULA-IITTALAのデザインコンペで2位・3位を受賞したことを契機に、1946年から4年間所属したIITTALA（イッタラ）でデザインした唯一のプロダクトであり、キャリアで初めてデザインしたガラスを素材としたプロダクトでもあります。\n    1948年にストックマンデパートで発表され、その後1954年まで製造されました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    TUPAシリーズは、フィンランドで19世紀半ばまで作られていた『WALDGLAS（森林ガラス）』を再現したもので、アンティークグリーンと呼ばれるガラスは、このシリーズの為に特別に開発されました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    こちらは、TUPAシリーズの小さなプレートで、1948年から1954年に製造されました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    『WALDGLAS（森林ガラス）』とは、森の灰と砂を主な原料とした緑色のガラスで、気泡や皺、不純物など均一で質の良いガラスではありません。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    また、これまでTUPAシリーズを数多く取り扱ってきましたが、ほとんどのものにスレや傷やシミなどがありました。\n    これは同時代のIITTALA製品には見られない現象であり、おそらくこのガラスの特性と思われます。\n    同じItem No.でもガラスの厚みやフォルムも個体差があります。どうぞご了承ください。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    ※スレや傷など使用感があります。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003eKAJ FRANCK｜カイ・フランク｜1911–1989｜FINLAND\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    Kaj Franck(カイ・フランク)は、20世紀フィンランドのモダンデザインを代表するデザイナーのひとり。\n    ヘルシンキの中央美術工芸学校(現アールト大学)ではArttu Brummer(アルッツ・ブルマー)に師事。卒業後は家具やインテリア、テキスタイルなど幅広い分野で活動しました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1945年にKurt Ekholm(クルト・エクホルム)の要請でArabia(アラビア)に主任デザイナーとして迎えられ、戦後の日常生活に必要なテーブルウェアの刷新を担いました。\n    1946年には、Karhula-Iittala(カルフラ・イッタラ)のコンペで入賞したことを機にIittalaでガラスデザイナーとなりますが、1950年にArabiaと同じWärtsilä(ヴァルチラ)傘下のグループ企業となったNuutajärvi(ヌータヤルヴィ)に移籍し、ディレクターとしてArabiaと共通理念のガラスウェアのデザインを始めました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    『フィンランドの良心』とも称されたKaj Franckのデザイン思想は、「大衆のためのデザイン」と「デザイナーの社会的責任」という考えに基づいています。\n    シンプルな幾何学フォルムと装飾を排した色彩による表現で、長く使い続けることのできる普遍的なプロダクトを数多くデザインしました。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    ArabiaのKILTA(現TEEMA)シリーズやNuutajärviのタンブラー5027(現KARTIO)シリーズは、現在もIittalaで製造が続けられるロングセラーとなっています。\n    またその一方で、Nuutajärviでは工芸的アプローチによる芸術性の高いユニークピースのガラス作品も数多く手がけており、これらにFranckの芸術家としての側面を見ることができます。\n  \u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp class=\"ex-text-01\"\u003e\n    1960年からはヘルシンキの芸術デザイン学校(現アールト大学)で教育にも携わり、フィンランドのデザイン教育にも大きな影響を与えました。\n    ルニング賞(1955年)、ミラノ・トリエンナーレ グランプリ(1957年)、コンパッソ・ドーロ賞(1957年)など受賞歴多数。\n  \u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e","brand":"KAJ FRANCK","offers":[{"title":"GREEN \/ KFGL1446","offer_id":48704164724976,"sku":null,"price":6600.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/KFGL1446_1.jpg?v=1768048967"},{"product_id":"kfkl528","title":"\"KILTA\" CASSEROLE(WHITE) BA 1","description":"\u003cdiv class=\"item-description\"\u003e\n\u003cp\u003eKaj Franck(カイ・フランク)が1951年からデザインに取り組み、1953年にARABIA(アラビア)から販売が始まったBAモデル。当初は8点で構成され、1954年中頃からKILTAシリーズとして展開されていきました。以後、既存モデルや追加アイテムを取り込みながら、1974年まで製造されたKaj Franckを代表するプロダクトのひとつです。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e1954年のミラノ・トリエンナーレでは、KILTAを含むARABIAの実用陶磁器で、Kaj Franckは名誉賞を受賞しました。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eフィンランド語で『Kilta』は、ギルド(同じ職業や技術を持つ人々の組合)を意味します。KILTAシリーズもまた、BAモデルを中心に、複数のモデルを共通した色調と機能性のもとに結びつけながら展開されました。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eKILTAは、戦後のフィンランドにおける住環境や生活様式の変化を背景に生まれたテーブルウェアです。従来のように多くの種類の食器を一式で揃えるディナーセットではなく、共通したデザイン言語を持つ独立した食器を、必要に応じて組み合わせ、他の食器とも調和することを前提にデザインされました。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e装飾を施さず、単色の釉薬による仕上げ、幾何学的な基本形をもとにしたフォルム、スタッキング構造、ひとつの器を複数の用途に使えることなど、限られた収納スペースや日常使いに対応する工夫が見られます。また、オーブンから食卓へそのまま出せる実用性も、KILTAの特徴のひとつです。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eKILTAの製造終了は需要の低下ではなく、1970年代の陶磁器産業の再編と、ARABIAの生産体制がファイアンスからストーンウェア中心へ移ったことによるものでした。KILTAの理念は、素材やフォルムを見直した1981年発表のTEEMAへ受け継がれ、現在もIITTALA(イッタラ)の定番テーブルウェアとして製造が続いています。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eこちらは、BAモデルの蓋つきのキャセロールで、1950年代後半ごろにKILTAシリーズに追加されたモデル。個体数の少なさから短期間のみの製造と推測されます。\nこちらは、1961年に製造されたもの。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e※内側側面にシミがありますが、使用感さほどなく良い状態です。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eKILTAの釉薬には、製造時に生じた小さなスポットが見られる場合があります。後年の使用によるダメージではありません。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\n\u003cdiv style=\"margin-top: 48px;\" class=\"black-text-01\"\u003e\n\u003ch3\u003e\u003cstrong\u003eKAJ FRANCK｜カイ・フランク｜1911–1989｜FINLAND\u003c\/strong\u003e\u003c\/h3\u003e\n\u003cp\u003eKaj Franck(カイ・フランク)は、20世紀フィンランドのモダンデザインを代表するデザイナーのひとり。中央美術工芸学校でフィンランドデザイン界の重鎮Arttu Brummer(アルットゥ・ブルンメル)のもと、家具デザインを学び、在学中の1930年にはBrummerに率いられた研修旅行でストックホルム博覧会を訪れ、機能主義の新しい潮流に触れました。1932年に卒業後、家具やインテリア、テキスタイル、玩具など幅広い分野で活動し、1934年にはRiihimäen Lasi(リーヒマエン・ラシ)で製図工として短期間働きました。1939年以降は第二次世界大戦の影響により活動が制限されましたが、この時期の経験は、のちの社会性を備えたデザイン思想の形成につながりました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e1945年、ArabiaのアートディレクターであったKurt Ekholm(クルト・エクホルム)に招かれ、Arabia(アラビア)で戦後の日常生活に必要なテーブルウェアの刷新を担いました。Ekholmはこの時、Arabiaで初めてテーブルウェアのデザインを専門に担うデザイナーを起用しており、その最初の担い手となったのがFranckでした。もともと陶芸の訓練を受けていなかったことから、既存のテーブルウェアの慣習にとらわれない新たな視点を持つデザイナーとして起用されたと考えられます。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e1946年にはKarhula-Iittala(カルフラ・イッタラ)のコンペで入賞したことを機にIittalaでガラスデザイナーとなります。1950年には、Nuutajärvi(ヌータヤルヴィ)がArabiaと同じWärtsilä(ヴァルチラ)傘下のグループ企業となったことを機に、活動の場をNuutajärviへ移し、ディレクターとしてArabiaと共通理念のガラスウェアのデザインを始めました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e『フィンランドの良心』とも称されたKaj Franckのデザイン思想は、『大衆のためのデザイン』と『デザイナーの社会的責任』という考えに基づいています。シンプルな幾何学フォルムと装飾を排した色彩による表現で、長く使い続けることのできる普遍的なプロダクトを数多くデザインしました。彼にとって美しさとは、\"necessary, functional, justified and right\"(「必要であり、機能的であり、正当であり、適切であること」)でした。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e1950年代にデザインされたArabiaのKILTA(現TEEMA)シリーズやNuutajärviのタンブラー5027(現KARTIO)シリーズは、Kaj Franckの思想を最も端的に示す代表作であり、現在もIittalaで製造が続けられているロングセラーとなっています。特にKILTAは、必要な器を個別に選び、自由に組み合わせて使うという革新的な考え方を提示し、従来の食器セットのあり方を再定義するとともに、その後のモダンテーブルウェアの方向性を示しました。またその一方で、Nuutajärviでは、1970年代を中心に様々な技法を駆使した工芸的アプローチによる芸術性の高いユニークピースのガラス作品も数多く手がけており、そこにはFranckの芸術家としてのもうひとつの側面を見ることができます。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e1960年からはヘルシンキの芸術デザイン学校で教育にも携わり、フィンランドのデザイン教育にも大きな影響を与えました。また、その名を冠したKaj Franckデザイン賞が設けられていることからも、その功績と影響の大きさがうかがえます。1954年のミラノ・トリエンナーレでの名誉賞をはじめ、1955年のルニング賞、1957年のミラノ・トリエンナーレでのグランプリ、コンパッソ・ドーロ賞など受賞歴多数。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\n\u003c!-- 下段：ARABIA 基本コード --\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003e\u003cstrong\u003eARABIA｜アラビア｜1873–｜FINLAND\u003c\/strong\u003e\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp\u003eArabiaは1873年、ヘルシンキ郊外のアラビア地区にスウェーデンの陶磁器メーカー Rörstrand（ロールストランド）の子会社として設立され、翌1874年に操業を開始しました。1916年にはRörstrandの資本から離れ、フィンランド企業として独立します。1929年には全長112メートルにおよぶ当時世界最大級のトンネル窯が導入され、生産の効率化と大量生産体制が確立されました。これによりArabiaはヨーロッパ有数の陶磁器工場へと発展していきます。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e1932年にはKurt Ekholm（クルト・エクホルム）がアートディレクターに就任し、Arabiaにおける芸術活動を芸術部門として組織化。作家のための制作環境を整え、プロダクトとアートピースを並行して発展させる体制を築きました。Arabiaの大きな特徴は、芸術部門、応用芸術部門、プロダクトデザイン部門という三つの分野が相互に関わりながら製品開発を行ってきたことにあります。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e芸術部門にはToini Muona（トイニ・ムオナ）、Friedl Kjellberg（フリードル・チェルベリ）、Michael Schilkin（ミカエル・シルキン）、Birger Kaipiainen（ビルガー・カイピアイネン）、Rut Bryk（ルート・ブリュック）、Kyllikki Salmenhaara（キーリッキ・サルメンハーラ）らが参加。その作品は1930年代から国際的な評価を獲得し、Arabiaの文化的側面を担うとともに、フィンランド陶芸の発展に重要な役割を果たしました。1940年代にはFriedl Kjellbergが蛍手の技法を用いたRice Porcelainを開発。1950年から量産が開始され、1974年まで続くロングセラーとなり、Arabiaを代表する芸術磁器として国際的に高い評価を受けました。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eEkholmは1930年代に北欧で広がった機能主義の流れを背景に、1935年にテーブルウェアARシリーズ（SINIVALKO）を発表し、後の北欧モダンデザインの方向性を示しました。1945年にはKaj Franck（カイ・フランク）がデザイナーとして入社し、Kaarina Aho（カーリナ・アホ）やUlla Procopé（ウラ・プロコペ）らとともにプロダクトデザインの刷新を進めました。1953年に発表されたKiltaシリーズは、シンプルな幾何学フォルムと多用途性を特徴とする革新的なモダンデザインのテーブルウェアとして大きな成功を収めました。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eArabiaは1930年代から数多くの受賞歴を誇りますが、特に1950年代のミラノ・トリエンナーレ（1951・1954・1957）では、芸術部門の作家の作品に加えデザイナーによるプロダクトも数多く受賞し、世界的な評価を確立しました。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e","brand":"KAJ FRANCK","offers":[{"title":"WHITE \/ KFKL528","offer_id":48719595733232,"sku":null,"price":16500.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/KFKL528_1_d0c18a37-99aa-4ada-be2c-7bb4c00d8fdc.jpg?v=1777641543"},{"product_id":"kfkl406","title":"\"KILTA\" EGG RING(ENAMEL RED) A","description":"\u003cdiv class=\"item-description\"\u003e\n\u003cp\u003eKaj Franck(カイ・フランク)が1951年からデザインに取り組み、1953年にARABIA(アラビア)から販売が始まったBAモデル。当初は8点で構成され、1954年中頃からKILTAシリーズとして展開されていきました。以後、既存モデルや追加アイテムを取り込みながら、1974年まで製造されたKaj Franckを代表するプロダクトのひとつです。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e1954年のミラノ・トリエンナーレでは、KILTAを含むARABIAの実用陶磁器で、Kaj 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FRANCK｜カイ・フランク｜1911–1989｜FINLAND\u003c\/strong\u003e\u003c\/h3\u003e\n\u003cp\u003eKaj Franck(カイ・フランク)は、20世紀フィンランドのモダンデザインを代表するデザイナーのひとり。中央美術工芸学校でフィンランドデザイン界の重鎮Arttu Brummer(アルットゥ・ブルンメル)のもと、家具デザインを学び、在学中の1930年にはBrummerに率いられた研修旅行でストックホルム博覧会を訪れ、機能主義の新しい潮流に触れました。1932年に卒業後、家具やインテリア、テキスタイル、玩具など幅広い分野で活動し、1934年にはRiihimäen Lasi(リーヒマエン・ラシ)で製図工として短期間働きました。1939年以降は第二次世界大戦の影響により活動が制限されましたが、この時期の経験は、のちの社会性を備えたデザイン思想の形成につながりました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e1945年、ArabiaのアートディレクターであったKurt Ekholm(クルト・エクホルム)に招かれ、Arabia(アラビア)で戦後の日常生活に必要なテーブルウェアの刷新を担いました。Ekholmはこの時、Arabiaで初めてテーブルウェアのデザインを専門に担うデザイナーを起用しており、その最初の担い手となったのがFranckでした。もともと陶芸の訓練を受けていなかったことから、既存のテーブルウェアの慣習にとらわれない新たな視点を持つデザイナーとして起用されたと考えられます。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e1946年にはKarhula-Iittala(カルフラ・イッタラ)のコンペで入賞したことを機にIittalaでガラスデザイナーとなります。1950年には、Nuutajärvi(ヌータヤルヴィ)がArabiaと同じWärtsilä(ヴァルチラ)傘下のグループ企業となったことを機に、活動の場をNuutajärviへ移し、ディレクターとしてArabiaと共通理念のガラスウェアのデザインを始めました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e『フィンランドの良心』とも称されたKaj 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class=\"black-text-01\"\u003e\n\u003ch3\u003e\u003cstrong\u003eARABIA｜アラビア｜1873–｜FINLAND\u003c\/strong\u003e\u003c\/h3\u003e\n\u003cp\u003eArabiaは1873年、ヘルシンキ郊外のアラビア地区にスウェーデンの陶磁器メーカー Rörstrand（ロールストランド）の子会社として設立され、翌1874年に操業を開始しました。1916年にはRörstrandの資本から離れ、フィンランド企業として独立します。1929年には全長112メートルにおよぶ当時世界最大級のトンネル窯が導入され、生産の効率化と大量生産体制が確立されました。これによりArabiaはヨーロッパ有数の陶磁器工場へと発展していきます。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e1932年にはKurt Ekholm（クルト・エクホルム）がアートディレクターに就任し、Arabiaにおける芸術活動を芸術部門として組織化。作家のための制作環境を整え、プロダクトとアートピースを並行して発展させる体制を築きました。Arabiaの大きな特徴は、芸術部門、応用芸術部門、プロダクトデザイン部門という三つの分野が相互に関わりながら製品開発を行ってきたことにあります。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e芸術部門にはToini Muona（トイニ・ムオナ）、Friedl Kjellberg（フリードル・チェルベリ）、Michael Schilkin（ミカエル・シルキン）、Birger Kaipiainen（ビルガー・カイピアイネン）、Rut Bryk（ルート・ブリュック）、Kyllikki Salmenhaara（キーリッキ・サルメンハーラ）らが参加。その作品は1930年代から国際的な評価を獲得し、Arabiaの文化的側面を担うとともに、フィンランド陶芸の発展に重要な役割を果たしました。1940年代にはFriedl Kjellbergが蛍手の技法を用いたRice 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Franck(カイ・フランク)が1951年からデザインに取り組み、1953年にARABIA(アラビア)から販売が始まったBAモデル。当初は8点で構成され、1954年中頃からKILTAシリーズとして展開されていきました。以後、既存モデルや追加アイテムを取り込みながら、1974年まで製造されたKaj Franckを代表するプロダクトのひとつです。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e1954年のミラノ・トリエンナーレでは、KILTAを含むARABIAの実用陶磁器で、Kaj 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FRANCK｜カイ・フランク｜1911–1989｜FINLAND\u003c\/strong\u003e\u003c\/h3\u003e\n\u003cp\u003eKaj Franck(カイ・フランク)は、20世紀フィンランドのモダンデザインを代表するデザイナーのひとり。中央美術工芸学校でフィンランドデザイン界の重鎮Arttu Brummer(アルットゥ・ブルンメル)のもと、家具デザインを学び、在学中の1930年にはBrummerに率いられた研修旅行でストックホルム博覧会を訪れ、機能主義の新しい潮流に触れました。1932年に卒業後、家具やインテリア、テキスタイル、玩具など幅広い分野で活動し、1934年にはRiihimäen Lasi(リーヒマエン・ラシ)で製図工として短期間働きました。1939年以降は第二次世界大戦の影響により活動が制限されましたが、この時期の経験は、のちの社会性を備えたデザイン思想の形成につながりました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e1945年、ArabiaのアートディレクターであったKurt Ekholm(クルト・エクホルム)に招かれ、Arabia(アラビア)で戦後の日常生活に必要なテーブルウェアの刷新を担いました。Ekholmはこの時、Arabiaで初めてテーブルウェアのデザインを専門に担うデザイナーを起用しており、その最初の担い手となったのがFranckでした。もともと陶芸の訓練を受けていなかったことから、既存のテーブルウェアの慣習にとらわれない新たな視点を持つデザイナーとして起用されたと考えられます。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e1946年にはKarhula-Iittala(カルフラ・イッタラ)のコンペで入賞したことを機にIittalaでガラスデザイナーとなります。1950年には、Nuutajärvi(ヌータヤルヴィ)がArabiaと同じWärtsilä(ヴァルチラ)傘下のグループ企業となったことを機に、活動の場をNuutajärviへ移し、ディレクターとしてArabiaと共通理念のガラスウェアのデザインを始めました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e『フィンランドの良心』とも称されたKaj Franckのデザイン思想は、『大衆のためのデザイン』と『デザイナーの社会的責任』という考えに基づいています。シンプルな幾何学フォルムと装飾を排した色彩による表現で、長く使い続けることのできる普遍的なプロダクトを数多くデザインしました。彼にとって美しさとは、\"necessary, functional, justified and right\"(「必要であり、機能的であり、正当であり、適切であること」)でした。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e1950年代にデザインされたArabiaのKILTA(現TEEMA)シリーズやNuutajärviのタンブラー5027(現KARTIO)シリーズは、Kaj Franckの思想を最も端的に示す代表作であり、現在もIittalaで製造が続けられているロングセラーとなっています。特にKILTAは、必要な器を個別に選び、自由に組み合わせて使うという革新的な考え方を提示し、従来の食器セットのあり方を再定義するとともに、その後のモダンテーブルウェアの方向性を示しました。またその一方で、Nuutajärviでは、1970年代を中心に様々な技法を駆使した工芸的アプローチによる芸術性の高いユニークピースのガラス作品も数多く手がけており、そこにはFranckの芸術家としてのもうひとつの側面を見ることができます。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e1960年からはヘルシンキの芸術デザイン学校で教育にも携わり、フィンランドのデザイン教育にも大きな影響を与えました。また、その名を冠したKaj Franckデザイン賞が設けられていることからも、その功績と影響の大きさがうかがえます。1954年のミラノ・トリエンナーレでの名誉賞をはじめ、1955年のルニング賞、1957年のミラノ・トリエンナーレでのグランプリ、コンパッソ・ドーロ賞など受賞歴多数。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\u003c!-- 下段：ARABIA 基本コード --\u003e\n\u003cdiv style=\"margin-top: 48px;\" class=\"black-text-01\"\u003e\n\u003ch3\u003e\u003cstrong\u003eARABIA｜アラビア｜1873–｜FINLAND\u003c\/strong\u003e\u003c\/h3\u003e\n\u003cp\u003eArabiaは1873年、ヘルシンキ郊外のアラビア地区にスウェーデンの陶磁器メーカー Rörstrand（ロールストランド）の子会社として設立され、翌1874年に操業を開始しました。1916年にはRörstrandの資本から離れ、フィンランド企業として独立します。1929年には全長112メートルにおよぶ当時世界最大級のトンネル窯が導入され、生産の効率化と大量生産体制が確立されました。これによりArabiaはヨーロッパ有数の陶磁器工場へと発展していきます。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e1932年にはKurt Ekholm（クルト・エクホルム）がアートディレクターに就任し、Arabiaにおける芸術活動を芸術部門として組織化。作家のための制作環境を整え、プロダクトとアートピースを並行して発展させる体制を築きました。Arabiaの大きな特徴は、芸術部門、応用芸術部門、プロダクトデザイン部門という三つの分野が相互に関わりながら製品開発を行ってきたことにあります。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e芸術部門にはToini Muona（トイニ・ムオナ）、Friedl Kjellberg（フリードル・チェルベリ）、Michael Schilkin（ミカエル・シルキン）、Birger Kaipiainen（ビルガー・カイピアイネン）、Rut Bryk（ルート・ブリュック）、Kyllikki Salmenhaara（キーリッキ・サルメンハーラ）らが参加。その作品は1930年代から国際的な評価を獲得し、Arabiaの文化的側面を担うとともに、フィンランド陶芸の発展に重要な役割を果たしました。1940年代にはFriedl Kjellbergが蛍手の技法を用いたRice Porcelainを開発。1950年から量産が開始され、1974年まで続くロングセラーとなり、Arabiaを代表する芸術磁器として国際的に高い評価を受けました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003eEkholmは1930年代に北欧で広がった機能主義の流れを背景に、1935年にテーブルウェアARシリーズ（SINIVALKO）を発表し、後の北欧モダンデザインの方向性を示しました。1945年にはKaj Franck（カイ・フランク）がデザイナーとして入社し、Kaarina Aho（カーリナ・アホ）やUlla Procopé（ウラ・プロコペ）らとともにプロダクトデザインの刷新を進めました。1953年に発表されたKiltaシリーズは、シンプルな幾何学フォルムと多用途性を特徴とする革新的なモダンデザインのテーブルウェアとして大きな成功を収めました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003eArabiaは1930年代から数多くの受賞歴を誇りますが、特に1950年代のミラノ・トリエンナーレ（1951・1954・1957）では、芸術部門の作家の作品に加えデザイナーによるプロダクトも数多く受賞し、世界的な評価を確立しました。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e","brand":"KAJ FRANCK","offers":[{"title":"RED \/ KFKL407","offer_id":48723190186224,"sku":null,"price":8800.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/KFKL407_1.jpg?v=1768296811"}],"url":"https:\/\/elephant-life.com\/collections\/gift.oembed?page=2","provider":"ELEPHANT","version":"1.0","type":"link"}