{"product_id":"arab601","title":"JUG","description":"\u003cdiv class=\"item-description\"\u003e\n  \u003cp\u003eGöran Bäck(ヨラン・バック)によってデザイン、轆轤成形された水差し。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eGöran Bäckは、陶工・轆轤職人として1946年にKaj Franck(カイ・フランク)が設立したモデルデザイン部門に加わりました。当初は陶工としてKaj Franckがデザインしたプロトタイプを轆轤で制作するなど、製品化に向けた試作を担いましたが、1957年から約1年間西ドイツに滞在してプロダクトデザインを学び、帰国後は独立したデザイナーとして自身の製品デザインを手がけました。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eKaj Franckは、1953年に販売開始したBモデルやKILTAシリーズの核となるBAモデルで実用陶器に新しい方向性を示し、1955年には次の展開として轆轤で制作される実用品に取り組もうとしていました。1950年代後半にはKaj Franckがデザインしたティーポットなどのプロトタイプを、Göran Bäckをはじめとする陶工が制作していますが、製品化されたものはわずかで、短期間のみの展開だったと推測されます。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eこちらもおそらくこの流れの中で制作された作品で、裏のサインには『ARABIA GB』とあることから、西ドイツから帰国後である1950年代後半の作品と考えられます。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e轆轤目を残しながら力強く立ち上がるフォルムと、大ぶりな取っ手とのバランスが全体に安定感を与え、黒に近い深い緑褐色の釉薬が轆轤成形による表面の表情を際立たせています。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003eこちらが製品化されたのか、プロトタイプで終わったのか定かではありませんが、たいへん希少な作品です。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e芸術部門ではなく、モデルデザイン部門から生まれた轆轤成形の実用品という点で、Arabia(アラビア)の中では珍しい位置づけでもあります。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e※目立つダメージなく良い状態です。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\n\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top:48px;\"\u003e\n  \u003ch3\u003e\u003cstrong\u003eGÖRAN BÄCK｜ヨラン・バック｜1923–2003｜FINLAND\u003c\/strong\u003e\u003c\/h3\u003e\n\n  \u003cp\u003eGöran Bäck(ヨラン・バック)は、Arabia(アラビア)で長年にわたり活動した陶工・轆轤職人、デザイナー。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e1941年から姉Rakel Bäck(ラケル・バック)の陶器工房で働き、陶土の調製と轆轤成形を担当。その後、Arabiaの衛生陶器部門で鋳込み成形を経験したのち、一度故郷へ戻り、1945年には小規模な陶器工房、続いてKERA(ケラ)で陶工・轆轤職人として働きました。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e1945年末にArabiaへ戻ってARA部門で轆轤成形などに携わったのち、1946年夏にはKaj Franck(カイ・フランク)が設立したモデルデザイン部門にKaarina Aho(カーリナ・アホ)とともに加わり、当初は陶工としてKaj Franckがデザインしたプロトタイプを轆轤で制作し製品化に向けた試作を担いました。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e1957年にはArabiaの派遣で約1年間西ドイツに滞在してプロダクトデザインを学び、帰国後は独立したデザイナーとして自身の製品を手がける一方、Kaj Franckのプロトタイプの轆轤制作も続けました。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e陶土の調製から轆轤、鋳込み、試作まで、製造現場でさまざまな工程を経験し、そこからデザインへと活動を広げた経歴は、専門的なデザイン教育を経てArabiaに入った同時代の多くのデザイナーとは異なるGöran Bäckの大きな特徴です。\u003c\/p\u003e\n\n  \u003cp\u003e1986年までArabiaに在籍し、戦後のテーブルウェアをはじめとする数多くのモデルに携わり、同社の製品開発を支えた人物の一人です。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e\n\u003c!-- 下段：ARABIA 基本コード --\u003e\n\u003cdiv class=\"black-text-01\" style=\"margin-top: 48px;\"\u003e\n\u003ch3\u003e\u003cstrong\u003eARABIA｜アラビア｜1873–｜FINLAND\u003c\/strong\u003e\u003c\/h3\u003e\n\u003cp\u003eArabiaは1873年、ヘルシンキ郊外のアラビア地区にスウェーデンの陶磁器メーカー Rörstrand（ロールストランド）の子会社として設立され、翌1874年に操業を開始しました。1916年にはRörstrandの資本から離れ、フィンランド企業として独立します。1929年には全長112メートルにおよぶ当時世界最大級のトンネル窯が導入され、生産の効率化と大量生産体制が確立されました。これによりArabiaはヨーロッパ有数の陶磁器工場へと発展していきます。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e1932年にはKurt Ekholm（クルト・エクホルム）がアートディレクターに就任し、Arabiaにおける芸術活動を芸術部門として組織化。作家のための制作環境を整え、プロダクトとアートピースを並行して発展させる体制を築きました。Arabiaの大きな特徴は、芸術部門、応用芸術部門、プロダクトデザイン部門という三つの分野が相互に関わりながら製品開発を行ってきたことにあります。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e芸術部門にはToini Muona（トイニ・ムオナ）、Friedl Kjellberg（フリードル・チェルベリ）、Michael Schilkin（ミカエル・シルキン）、Birger Kaipiainen（ビルガー・カイピアイネン）、Rut Bryk（ルート・ブリュック）、Kyllikki Salmenhaara（キーリッキ・サルメンハーラ）らが参加。その作品は1930年代から国際的な評価を獲得し、Arabiaの文化的側面を担うとともに、フィンランド陶芸の発展に重要な役割を果たしました。1940年代にはFriedl Kjellbergが蛍手の技法を用いたRice Porcelainを開発。1950年から量産が開始され、1974年まで続くロングセラーとなり、Arabiaを代表する芸術磁器として国際的に高い評価を受けました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003eEkholmは1930年代に北欧で広がった機能主義の流れを背景に、1935年にテーブルウェアARシリーズ（SINIVALKO）を発表し、後の北欧モダンデザインの方向性を示しました。1945年にはKaj Franck（カイ・フランク）がデザイナーとして入社し、Kaarina Aho（カーリナ・アホ）やUlla Procopé（ウラ・プロコペ）らとともにプロダクトデザインの刷新を進めました。1953年に発表されたKiltaシリーズは、シンプルな幾何学フォルムと多用途性を特徴とする革新的なモダンデザインのテーブルウェアとして大きな成功を収めました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003eArabiaは1930年代から数多くの受賞歴を誇りますが、特に1950年代のミラノ・トリエンナーレ（1951・1954・1957）では、芸術部門の作家の作品に加えデザイナーによるプロダクトも数多く受賞し、世界的な評価を確立しました。\u003c\/p\u003e\n\u003c\/div\u003e","brand":"GÖRAN BÄCK","offers":[{"title":"BLACK \/ ARAB601","offer_id":50283993596144,"sku":null,"price":49500.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0786\/5761\/8160\/files\/ARAB601_1.jpg?v=1787219877","url":"https:\/\/elephant-life.com\/products\/arab601","provider":"ELEPHANT","version":"1.0","type":"link"}