KYLLIKKI SALMENHAARA

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      KYLLIKKI SALMENHAARA|キーリッキ・サルメンハーラ|1915–1981|FINLAND

      Kyllikki Salmenhaara(キーリッキ・サルメンハーラ)は、卓越した轆轤技術を芸術の域へと高めた、 20世紀フィンランド陶芸を代表する最も優れた陶芸家の一人です。 生涯にわたり陶芸の研究と教育に尽力しました。

      1938年から中央美術工芸学校でElsa Elenius(エルサ・エレニウス)のもと陶芸を専攻。 在学中から学内コンテストで最優秀賞を受賞するなど、早くからその才能を示していました。

      卒業後は3年間、Kauklahti Glassworks(カウクラハティ・ガラス工場)でガラスデザイナーとして働き、 1946年にはデンマークのSaxbo(サクスボ)で釉薬研究を学び、 釉薬化学者として知られるNathalie Krebs(ナタリー・クレブス)の指導を受けました。 ここで培われた釉薬研究の経験は、後の彼女の作品に見られる独特の釉薬表現の基礎となりました。

      その後Sakari Vapaavuori(サカリ・ヴァーパヴオリ)のスタジオを経て、 1947年にArabia(アラビア)へ入社しました。 当初は応用美術部門の責任者であったOlga Osol(オルガ・オソル)のアシスタントとして働いていましたが、 1950年に美術部門へ移籍し、1961年まで在籍しました。 陶土や釉薬の組成、焼成などの研究を進めながら、 素材の質感を活かした釉薬表現と轆轤による力強い造形を特徴とする作品を生み出しました。

      1956年にはアメリカに滞在し、当時発展しつつあったスタジオ・セラミックスの動向に触れたことが、 その後の自由で力強い造形表現へとつながったとされています。

      彼女の作品は国際的にも高く評価され、ミラノ・トリエンナーレでは 1951年に銀メダル、1954年に名誉賞、1957年にグランプリ、1960年に金メダルを受賞し、 出品したすべての回で受賞を果たしました。

      制作中、粘土に混入していた刃物で指を負傷する事故をきっかけにArabiaを去り、 1961年から台湾の大学で陶芸教育に携わりました。 1963年から亡くなる1981年まで芸術デザイン学校およびヘルシンキ芸術デザイン大学で 教育者・研究者として活動しました。

      1974年には長年の研究と経験をまとめた著書『Keramiikka』を刊行。 陶芸材料、轆轤技術、土や釉薬の調合、焼成などを体系的にまとめたこの書籍は、 フィンランドの陶芸教育と研究に大きな影響を与えました。

      その作品と研究、教育活動を通じて、 Salmenhaaraは20世紀フィンランド陶芸に大きな足跡を残しました。

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