ARABIA ART DEPARTMENT

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      Arabia Art Department|アラビア芸術部門|1932–early 1970s|FINLAND

      Arabia Art Department(芸術部門)は、1932年にKurt Ekholm(クルト・エクホルム)により組織化され、翌1933年にEkholmがディレクターに就任することで、部門としての体制が確立されました。

      芸術部門は、工場内においてアーティストに自由な制作環境を提供する独立的な場として機能し、工業製品から一定の距離を保ちながら創作活動を行うことを可能にしました。 その成果は、素材・釉薬・成形技術に関する実験を通じて工業製品へと還元され、芸術と産業の相互作用を生み出しました。 また、Arabiaにおける文化的アイデンティティを体現し、対外的に発信する役割も担いました。

      このような理念は、中央美術工芸学校において指導的役割を担ったArttu Brummer(アルットゥ・ブルンメル)が重視した手工芸および芸術の価値に基づく思想を背景としており、 同校においてElsa Elenius(エルサ・エレニウス)の指導のもと育成された人材によって具現化されました。 Ekholmによる芸術部門の制度化は、こうした教育的基盤を産業の現場において再編成したものと位置づけられます。

      芸術部門には、Toini Muona (トイニ・ムオナ)、Aune Siimes (アウネ・シーメス)、Michael Schilkin (ミハエル・シルキン)、Birger Kaipiainen (ビルゲル・カイピアイネン)、Rut Bryk (ルート・ブリュック)、Kyllikki Salmenhaara (キーリッキ・サルメンハーラ)、Oiva Toikka (オイヴァ・トイッカ) らが所属しました。 また、Friedl Kjellberg(フリードル・チェルベリ)は1924年よりArabiaに在籍し、芸術部門の組織化以前から活動していた作家の一人であり、部門成立後も重要なメンバーとして位置づけられ、1948年には芸術部門のディレクターに就任しました。

      芸術部門の作家たちは、Toini MuonaやKyllikki Salmenhaaraに代表される、轆轤成形や釉薬表現に基づく陶芸と、 Birger KaipiainenやRut Brykに代表される、レリーフや陶板を用いた装飾的・物語的表現という二つの系譜を形成しました。 両者は対照的でありながら、芸術部門における表現の幅と奥行きを広げる役割を果たしました。

      芸術部門の活動は国際展においても高く評価され、1930年代からパリ万博などで継続的に受賞を重ねました。 特に1950年代から1960年にかけてのミラノ・トリエンナーレでは、Rut Bryk(1951)、Kyllikki Salmenhaara(1957)、Birger Kaipiainen(1960)がグランプリに輝いたほか、 名誉賞においてもBirger Kaipiainen、Michael Schilkin(1951)、Rut Bryk、Toini Muona、Kyllikki Salmenhaara(1954)らが選ばれ、Aune Siimes(1954)は金賞を受賞しています。 とりわけKyllikki Salmenhaaraは、1951年から1960年にかけてグランプリを含む4回連続で受賞するなど、芸術部門の国際的地位を支える重要な存在となりました。

      1970年代前半には組織再編に伴い、芸術部門はAtelier部門へと名称および機能が移行し、独立した部門としての役割はこの時期に一つの区切りを迎えました。

      その理念は現在にも受け継がれ、Art Department Societyの活動にも引き継がれています。

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