ALVAR AALTO|アルヴァ・アアルト|1898–1976|FINLAND
Alvar Aalto(アルヴァ・アアルト)は、フィンランドを代表する建築家、デザイナー。建築を中心に、家具、照明、ガラス製品など幅広い分野で活動し、フィンランドにおけるモダニズムの礎を築くとともに、その発展に大きな影響を与えました。
1923年にJyväskyläに自身の建築事務所を開設。翌1924年には建築家Aino Marsio(アイノ・マルシオ、後のAino Aalto)が事務所に加わり、同年10月に結婚しました。
活動初期には北欧古典主義の影響を受けた建築を手がけていましたが、1927年に活動拠点をTurkuに移した頃から、ヨーロッパで広がっていた機能主義建築へと移行していきました。1929年に設計を開始したPaimio Sanatorium(パイミオ療養所)では、建築全体を患者の療養環境として捉え、空間構成や採光、家具、照明に至るまで総合的に設計しました。1935年に完成したViipuriの図書館とともに、Alvar Aaltoの国際的な評価を確立する重要な建築となりました。
家具の分野では、1920年代末からTurkuの家具製造業者Otto Korhonen(オット・コルホネン)と協働し、木材の曲げ加工技術の研究を始めました。当時、近代的な家具にはスチールパイプが広く使用されていましたが、Alvar Aaltoは木材の特性を生かした新しい構造と工業生産の可能性を追求しました。1932年には、積層した木材を曲げたフレームと成形合板の座面を組み合わせ、木材の弾性を利用した画期的な構造のArmchair 41(Paimio Chair)を発表。
1933年には、無垢のバーチ材の端部に複数の切り込みを入れ、そこに薄い板を接着して直角に曲げる技術を確立し、特許を取得。この技術から生まれたL-legは、複雑な接合部を必要とせず、脚を座面や天板に直接固定できる合理的な構造を持ち、同年に発表されたStool 60をはじめ、椅子やテーブルなど数多くの家具に採用されました。標準化された部材を組み合わせる家具製造の基礎となり、1933年にはミラノ・トリエンナーレやロンドンで作品が紹介され、その独創的な構造と製造技術は国際的な注目を集めました。
1935年には、ロンドンを中心とする海外からの家具の注文増加に対応するため、Aino Aalto、Maire Gullichsen(マイレ・グリクセン)、Nils-Gustav Hahl(ニルス=グスタフ・ハール)とともにArtek(アルテック)を設立。家具の輸出販売体制を整えるとともに、展覧会や出版活動を通じてモダンデザインと新しい生活文化の普及を目指しました。
1936年にはKarhula-Iittala(カルフラ・イッタラ)のガラスデザインコンペで、自由な曲線を持つ一連のガラス製品を提案し、第1位を獲得。翌1937年のパリ万国博覧会で発表。また、1937年にはAino AaltoとともにヘルシンキのレストランSavoyのインテリアを手がけ、真鍮製のペンダントライトGolden Bellなどをデザインしました。
建築においては、1939年に完成したVilla Mairea(マイレア邸)で、モダニズムの合理的な構成に木材やレンガなどの素材、周囲の自然環境を取り入れた独自の建築表現を発展させました。戦後も国内外で設計活動を続け、アメリカMITの学生寮Baker House(1949年完成)、Säynätsalo Town Hall(セイナッツァロ役場、1952年完成)、フランスのMaison Louis Carré(メゾン・ルイ・カレ、1959年完成)、Seinäjoki Civic Centre(セイナヨキ行政・文化センター)、Finlandia Hall(フィンランディア・ホール、1971年完成)など、住宅から大規模な公共建築、都市計画まで幅広く手がけました。
家具の開発も継続し、1946年には2本のL-legを組み合わせたY-leg、1954年には複数の細い脚を扇状に組み合わせたX-leg(Fan-leg)を発表。これらはL-legから発展した構造であり、木材の加工技術を基礎としながら、異なる造形と用途を持つ家具へと展開されました。また、1950年代には建築プロジェクトと並行して多様な照明器具を設計し、光の反射や拡散、空間との関係を考慮した製品を生み出しました。
1949年にAino Aaltoが死去した後、1952年に自身の建築事務所に勤務していた建築家Elsa-Kaisa Mäkiniemi(エルサ=カイサ・マキニエミ、後のElissa Aalto)と再婚。Elissa Aaltoは数多くの建築プロジェクトに携わり、1958年には事務所の共同経営者となりました。
1933年にはミラノ・トリエンナーレで家具部門の金賞を受賞。1947年には英国王立芸術協会からHonorary Royal Designer for Industryの称号を授与され、1954年にはスウェーデンのPrince Eugen Medal、1962年にはデンマークのSonning Prizeを受賞しました。
建築分野では、1957年に英国王立建築家協会(RIBA)のRoyal Gold Medal、1963年にアメリカ建築家協会(AIA)のGold Medal、1972年にはフランス建築アカデミーの金賞を受賞するなど受賞歴多数。
AINO AALTO|アイノ・アアルト|1894–1949|FINLAND
Aino Aalto(アイノ・アアルト)は、フィンランドの建築家、デザイナー。建築、インテリア、家具、ガラス製品など幅広い分野で活動し、フィンランドにおけるモダニズムの発展に重要な役割を果たしました。
1920年にヘルシンキ工科大学を卒業し、建築家としての活動を開始。1924年にはAlvar Aalto(アルヴァ・アアルト)の建築事務所に加わり、同年10月に結婚しました。以後、Alvar Aaltoと協働し、Paimio Sanatorium(パイミオ療養所)や自邸、Villa Mairea(マイレア邸)などの設計に携わり、特にインテリアや家具の分野に力を注ぎました。
ガラス製品では、1932年にKarhula-Iittala(カルフラ・イッタラ)のデザインコンペのプレスガラス部門で2等を受賞した『Bölgeblick』が代表作として知られ、現在もIittala(イッタラ)で製造される『Aino Aalto』シリーズの原型となりました。
1935年にはAlvar AaltoらとともにArtek(アルテック)を設立。初代アートディレクターとして設計部門を率い、家具や照明、テキスタイルのデザインから、住宅や公共施設、レストランのインテリア計画までを手がけ、近代的な生活文化の普及を目指すArtekの理念を具現化するとともに、独自のスタイルを確立していきました。1941年からは社長として経営も担い、デザインと経営の両面からArtekの発展を牽引しました。
Alvar Aaltoとの共同設計や自身のデザイン、Artekの運営に加え、子育てや家庭生活も担ったAino Aalto。生活全般に目を配る女性としての視点と経験は、日々の使いやすさや住まいのあり方を具体的に考える設計姿勢につながり、家具や日用品から生活空間に至るまで、そのデザインに反映されています。
1936年のミラノ・トリエンナーレでは、ガラスシリーズ『Bölgeblick』で金賞、展示設計でグランプリを受賞しました。