TOINI MUONA|トイニ・ムオナ|1904–1987|FINLAND
Toini Muona(トイニ・ムオナ)は、フィンランド近代陶芸を代表する女性陶芸家・デザイナーであり、その発展を切り開いたパイオニアのひとりです。
1920年から1923年まで、上級手工芸学校(中央美術工芸学校系の夜間課程)で学んだ後、中央美術工芸学校へ進み、1926年にデザイナーとして卒業しました。卒業時には奨学金を授与されるなど在学中から高く評価され、その後も中央美術工芸学校の陶芸工房を拠点に活動。ベルギー出身の画家・陶芸家で、フィンランド陶芸教育の基礎を築いたAlfred William Finch(アルフレッド・ウィリアム・フィンチ)のもと、ろくろ成形や焼成を実践しながら制作を続けました。
1931年にはArabia(アラビア)で実習を始め、工場での制作工程に触れるなかでその実力を評価され、やがて正式に作家として迎えられました。当時のArabiaでは、作家として活動する陶芸家の位置づけがまだ確立されていないなか、Toini Muonaは中央美術工芸学校で学んだ陶芸家として初の所属作家となり、同校で陶芸を学んだ作家が産業の現場で活動する道を切り開きました。また、彼女の成功は、Arabiaが作家による陶芸制作を本格的に支える重要な契機となり、その後に立ち上がる芸術部門の設立を後押ししました。
早くも1932年には作品のコレクションを完成させ、同年11月に応用美術館で開催された初個展で発表しました。若い陶芸家のデビューが美術館で行われたことは、Toini Muonaの特別な才能が認められていたことを物語るとともに、芸術と産業の結びつきが実現しつつあることを示す、重要な出来事となりました。
Toini Muonaは、1970年にArabiaを退職するまで、粘土、釉薬、焼成といった陶芸の要素に愚直なまでに向き合い、伝統や慣習にとらわれない新しい表現を探究し続けました。卓越したろくろの技術がありながら、装飾や手びねりによる表現も取り入れ、陶芸を造形表現として突き詰めていきました。特に銅を用いた釉薬による深い赤、青、ターコイズの発色は、彼女の作品を強く印象づける要素となりました。
1930年代後半からは、非対称な歪みをもつ量感のあるフォルムや、自然のかたちを思わせる有機的な輪郭を持つ花器へと表現を広げ、1940年代には細く縦に伸びるかたちを追求し、葦や草のような自然の形から着想を得た花器を発表。自身が『草』と呼んだこれらの作品は、Toini Muonaを代表する作品となるとともに大きな反響を呼びました。1950年代には、植物のかたちを陶芸に取り込む試みをさらに発展させ、乾燥させた植物を押し当てたレリーフ状の陶板を発表しました。1960年代からは、よりシンプルで抽象的なフォルムへと向かい、陶芸を彫刻的な造形表現へと昇華させていきました。
その独自の表現は、1930年代から国際的な評価を得ました。1950年代にフィンランドのモダニズムが国際的な注目を集める以前から、Toini Muonaは国際展への出展と受賞を重ね、活動初期から存在感を示していました。その活動はフィンランド陶芸を世界に示すものであり、Toini Muonaはフィンランド陶芸におけるモダニズムをけん引する存在でもありました。
1933年と1951年のミラノ・トリエンナーレ、1935年のブリュッセル万博、1937年のパリ万博でゴールドメダルを受賞。1954年のミラノ・トリエンナーレで名誉賞、1957年にはプロ・フィンランディアメダルを受けるなど、受賞歴多数。